不幸のからくり21
幸せの構図
支配・被支配の関係こそが、不幸の構図であると言いました。
その関係性の中に、真の喜びはあり得ないからです。
ジャイアンとのび太とスネ夫の関係のように、強い者が弱い者をいじめ、弱いものは強い者に媚びるという支配・被支配の関係は、成長過程の中で解消されるべきものなのです。
では、、、
幸せの構図とは、、、
何でしょうか?
一言で言うと、自立した人間同士の関係です。
自立とは、、、
なんでしょうか?
自分で考え、判断できることです。
正しい判断をするには、正しい基準が必要です。
子供は、、、
自分の中心の視点でしかものを見ることができません。
自分の中に正しい基準が立っていないからです。
それで、、、
比較という自分中心の基準でものごとを判断するようになります。
だから子供は、、、
損得、優劣、勝敗という比較の世界で、自分が優位に立つことに一喜一憂するのです。
しかし、、、
これは、基準が間違っているので、、、必ず、破滅に至ります。
自分が、多くを勝ち取ることを求め、奪い合い、争いが起こります。
やがてそこには、支配・被支配の関係ができ、皆が不幸になります。
このような、歪で不自然な関係が永続するはずは、、、ないのです。
ですから、、、
比較という自分中心の基準は、成長過程を経て正されるべきなのです。
では、正しい基準とは何でしょうか?
これは、日本の伝統精神で説明できます。
①主座を保つ
②和を保つ
③衆知を集める(独善の否定)
この三つです。
①は、自分を中心にするのではなく、過去、現在、未来において、変わることのない価値観を自分の中心(縦軸)にするということであり、
②は、人間関係(横軸)において、自分中心の比較(奪い合い)ではなく、縦軸を中心とした和(均衡ある繋がり)を保つことであり、
③は、独善(軸がぶれる)にならないように、常に人に学ぶ謙虚な精神を忘れないというものです。
つまり、、、
自分の中に縦軸と横軸(正しい基準)をしっかりと立て、ぶれの修正を怠らないのが、日本の伝統精神に基づいた自立(大人)ということです。
そして、、、
このような自立した大人と大人の関係ができたならば、
幸せの構図は、自然に勝手にでき上がっていくものなのでしょう。
この正しい基準さえ、ぶれなければ、、、
人々が、自分の好きなことを、自由に、何をしようと、、、
おそらく、、、間違い(不幸)は起こらないのでしょう。
極端な話ですが、、、
何もしなくても、、、息をしているだけでも、幸せも存在価値もあるという話しです。
生きているだけで、正しい空気(和)を作り出すことに貢献しているからです。
特別なこと(人に対する優位性など)がなくても、正しい空気(和)を吸って生きられる世の中、、、
それが、幸せの構図、、、なのかも知れません。