たぬきの尻尾Ⅸ
たぬきの工作で、最も深刻なのが、、、宗教です。
マルクスは「宗教はアヘンだ」と言いました。
しかし、、、
これも、、、「すり替え」です。
宗教がアヘンなのではありません。
宗教の中に入ってしまった党派心がアヘンなのです。
それで、、、
党派心(自分たちこそ正しい)がバリバリに立った宗教ほど恐ろしいものはありません。
このことは、キリスト教の歴史が証明しています。
例えば、、、
十字軍による異教徒虐殺。
魔女狩り裁判。
宣教を名目にした植民地支配。
マニフェスト・デスティニーの美名のもとに行われた原住民の大量殺戮。
キリスト教の暗黒面を上げたら、、、、
きりがないのです。
このようなことを、暴力団や犯罪組織ではなく、、、宗教者が行って来たのです。
もちろんこれは、イエスキリストの言葉によってなされたのではありません。
狂気に取り憑かれてしまったからでしょう。
ではなぜ、、、?
「汝の敵を愛せよ」と言ったイエスキリストの教えが、、、
「汝の隣人を搾取し、殺戮せよ、、、」となってしまったのでしょうか?
それが、、、たぬきの工作です。
①縦軸の分断工作。
まず、、、(たぬきは)人間の真の信仰心(縦軸)を断ち切らなければなりません。
そのために、、、
たぬきが使った言葉が「信じる者は、救われる」です。
もちろん、、、
彼らのプロパガンダです。
実に巧妙な、すり替え工作です。
心の問題を、形の問題にすり替えたのです、、、。
つまり、、、
「救われる」という言葉を、生きた信仰心を形骸化(死んだ信仰心)するために使ったのです。
どういうことかというと、、、
イエスを信じる者が救われる。
教会に所属する者は救われる。
神父や牧師を信じる者は救われる、、、などの言葉があります。
これらの言葉の裏には「あなたは、何もしなくてもいい」があります。
つまり、、、
これらの言葉の真意は、生きた(自立した)信仰などせずに、他者に依存した信仰をしなさい、、、と言っているのです。
「救われたい」という思いは、人間の弱点(党派心)です。
たぬきは、そこのところをよく知った上で「信じるれば救われるよ」と言いているのです。
そして、、、
「救って欲しい、、、」と、多くの信者がたぬきに依存していきました。
多くの依存症患者ができたという点では、たぬき宗教は、アヘンと変わりはありません。
②横軸の分断工作。
次に横軸の工作です。
たぬきは必ず、、、A対 B の対立構造を作ります。
Aは救われる、、、Bは地獄行き、、、という対立構造です。
心の芯棒が抜けて「自分さえ救われれば良い」となった依存人間を扇動するのは簡単です。
「イエス様が、、、教皇様が、、、天国が、、、」と言えば信者たちは飛びつくからです。
もちろん、、、、彼らは、その名前を崇めているのではありません。
猫じゃらしに使っているだけです。
そして「自分たちこそ神から選ばれている」と、たっぷりと党派心を立てた上で「異教徒を皆殺しにしてしまえ~」とやります。
「自分が救われたい」という一念(党派心)をたぬきに握られていますので、信徒たちは、簡単に扇動されて、狂気に駆り立てられてしまうのです。
言うまでもなく、、、
宗教を信じる人は、もともと善良な人々なのです。
しかし、そういう善良な人間を「すり替え」と「煽り」で悪意に染めて、暴徒(操り人形)にする、、、。
これが彼らのやり方なのです。
このように、、、
不幸の仕組みは皆同じです。
しかし、宗教がより厄介なのは、、、
宗教する人が善意、正義心、信仰心が元々強い人だけに、
たぬきの工作をそのまま受け入れてしまうと「自分が絶対」のバリバリ党派心が立った、、、
たぬきの完全な操り人形になりやすいことです。