グローバリストとは拝金主義者
キリスト教精神がなぜ廃れたか?について話したいと思います。
え~どうして??
それは、弁証法的思考の介入のためです。
キリスト教とは、言うまでもなく神のみを主と仰ぐ信仰です。
そして「人間の中には悪いものがある」という罪の意識が前提にあります。
つまり、、、
キリスト教の基本的なスタンスは「神(真理)は一つである」ことと「人間(罪人)は神(真理)の前に傲慢であってはならない」ということです。
それが、キリスト教に弁証法的思考が介入することにより変質してゆきます。
人間が神(真理)を定義する理性主義(神より人間が上)に傾いて行きます。
するとどうなるでしょうか?
神の言葉を、色々な立場の人間が、それぞれの人間の解釈によって、色々な定義づけをし派閥を作ります。
すると、それぞれの派閥は互いに自分の主張を正当化し、譲らず、争い、分裂し戦争するようになりました。
お分かりでしょうか?
キリスト教精神が、いつのまにか弁証法理論に変わっていったのです。
人間が自分が正しいというスタンスで、神様を定義し、対立する者を認めず、批判するのです。
これはキリスト教精神の正反対です。
神の前に傲慢であり、真理(神)を分断するものであります。
このように弁証法に乗っ取られたキリスト教は、独善的になり排他的になり、支配的になっていったのです。
キリスト教という組織は残っていても、その精神は廃れてしまったのです。