グローバルスタンダードの真実
グローバルスタンダードの真実
日本と世界の関係
大まかに保守的な日本人ならば「日本は世界の中で独自の伝統文化を持つ国である」と考えるでしょう。
またリベラルならば「日本は世界の中の一つの国に過ぎない」と位置付けるかもしれません。
ではその世界とは何でしょうか?
「我々は自由と民主主義という価値観を共有する国だ」
このような言葉を私たちはよく耳にします。
自由民主主義こそが世界のグローバルスタンダードであると考える人も多いかも知れません。
しかし、グローバルスタンダードの本質は「ひとつの理念を中心として国境をなくすワンワールド思想」にあります。
何が言いたいのかというと、自由民主主義とワンワールド思想はそもそも親和性がないということです。
つまり、今私たちが思っている世界とは「西洋的ダブルスタンダードによって人為的に作られた世界」のことなのです。
西洋思想における排他性と独善性
キリスト教のスタンダードは創造主の唯一絶対性と神の愛の普遍性です。
つまり、彼らにとって自由も民主も絶対唯一である神のもとにあることが前提になっています。
ということは、神を信じない者はその範疇にないという理屈も成り立つのです。
一つの絶対的価値観が中心にある西洋思想は、常にこのようなダブルスタンダードが内在しています。
その根源となっているのがキリスト教的独善性と排他性なのです。
彼らがワンワールドを目指す理由
キリスト教の神が絶対唯一ですから、神の作った世界が一つでなかったら辻褄が合いません。
それゆえに必然的に「国境をなくすというワンワールド思想」に繋がります。
しかし、もしこれを人為的にやろうと思ったらばどうなるでしょうか?
無理が生じることは火を見るよりも明らかです。
そもそも人間には多様性があるからです。
風土や習慣や伝統も民族性も多様なのです。
しかし、西洋的思想の権力者はそれを人為的にやってきました。
その典型がキリスト教徒の布教と侵略です。
神の名を語り、略奪、殺人、戦争、人身売買、植民地支配、原住民の大虐殺など非人道的行為の数々行いました。
神の名のもとに侵略と支配を正当化してきたのです。
これは彼らの完全なダブルスタンダードの現れです。
神によるワンワールドがいつしか人間の支配によるワンワールドにすり替えられた
歴史を見るとキリストの教えを中心とした教会指導者あるいは国王も、権力の奪い合いに終始しています。
信仰の真髄である神への謙遜や清廉潔白さなど見る影もありません。
王権神授説などはその最たるものです。
いつの間にか神の名が、自分の権力の正当化のために使われるようになってしまったのです。
そして恐らくこのダブルスタンダードが人間の支配によるワンワールド理論の基本形になっています。
人間の理性もダブルスタンダード
教会指導者や国王の傲慢な権力行使に嫌気がさした民衆は、人間一人一人が神様から与えられている自由平等人権というものを主張するようになりました。
啓蒙思想です。
それがフランス人権宣言によって成文化されます。
しかし、理性で勝ち取ったはずの自由と平等の人権もダブルスタンダードの型に嵌められ人間の支配によるワンワールド理論になってゆきます。
自由を掲げる者たちは人権を蹂躙し、利益を搾取することに奔走しました。
彼らにとって自由主義とは、金の力で世界を支配することだったのです。
そこに今度は平等を掲げたマルクス主義が出現しました。
彼らは、平等という言葉を掲げた独裁主義です。
彼らは、理性で勝ち取った言葉を自分を正当化するタイトルに使ったのです。
全てはダブルスタンダードです。
要するに権力さえ握れれば何でもありということです。
世界とは何でしょうか?
世界は表面だけ眺めていても分かりません。
全ては建前だからです。
彼らが目指すものは、自由でも民主でも平和でもありません。
一部の権力者が支配するワンワールド構想です。
キリスト教のスタンダードである神の絶対唯一性、神中心のワンワールド。
その価値観を変質させた神に取って代わろうとする者たちによって人為的に作られているのが今の世界なのです。