グローバルスタンダードの真実3

グローバルスタンダードの真実

 

真実よりも金

「真実よりも金」西洋的ダブルスタンダードを突き詰めていくと結論はこれだけです。

これは、イエスキリストが「神と富とに兼ね仕えることはできない」といったことに対するアンチテーゼです。

 

つまり、グローバルスタンダードとは反キリストであり、富を信奉する金の亡者たちがが作り出した(金という権力による)世界支配のスタンダードです。

 

ですから、彼らの主張するスタンダード例えば、自由、民主主義、人権主義、平等、平和、国際化という言葉には全て『彼らの富と権力を中心として』という見えない但し書きが付いています。

 

そもそも、子供に対して「お前には人権がある」「お前は自由だ」などと言う親がいるでしょうか?

このような言葉は本来自由も人権もない奴隷に対して言う言葉です。

自由も人権もある人間からすれば胡散臭い言葉以外の何物でもありません。 

 

しかし戦後日本では、西洋的ダブルスタンダードによる洗脳によって胡散臭い言葉が胡散臭いと感じられなくなってしまっています。 

これが問題です。

 

日本のスタンダード

日本では昔から民のこと「大御宝(おおみたから)」と言っていました。

民に対して「人権がある」「自由だ」などという人を見下した言葉を使ってはいないのです。

西洋的思想がすべて支配者目線であるのに対し、日本の視線は親の視線なのです。

親が子に対して抱く思い。

「お前は私のかけがえのない宝である」というのと同じです。

そこには最初から自由も人権も含まれているので、恩着せがましい言葉で強調する必要性がないのです。 

 

キリスト教指導者の堕落

中世暗黒時代にキリスト教指導者は政治権力と結託し富と権力を手中におさめました。

彼らは、神ではなく富に使えてしまいました。 

そうなると必然的に民衆は富と権力の奴隷です。

自由平等人権を求める声が民衆からあがったというのは、彼らが奴隷だったということの裏返しなのです。

 

真実なのか?金なのか ?

これが人間が直面する最終的選択なのでしょう。

人類の選択でもあり、同時に私個人の選択でもあります。

どういうことかというと、、、

キリスト教指導者の選択と同じ事が私たちにも問われるいうことです。

彼らが最初から悪人だったか?

想像してみれば分かります。

おそらくそうではありません。ただ選択を間違えたのです。

国王をしのぐほどの権力と莫大な財を手にした時に、本人の思いに反して心の真実を捨ててしまったのです。

意に反して富と権力の虜になってしまったということなのでしょう。

宗教、政治、経済のトップが選択を間違えたのです。

これが今の世界=西洋的ダブルスタンダードに繋がっています。

そして、今私たちの世界は、まだこの延長線上にあるのです。

自由主義共産主義かという問題は上辺の問題に過ぎません。

本質は真実なのか?金なのか ?の選択です。