グローバリズムの真実10

西洋社会における党派心とピラミッド型支配

 西洋社会は党派心がそのまま社会構造に現れています。

それがピラミッド型社会です。

 

一握りのトップが下を支配、管理する形です。

これは、人間が家畜を管理する形と基本構造が同じです。

事実彼らは人間を長いこと奴隷として支配してきました。

 

国王と国民の関係もそうです。

支配・被支配関係なのです。

強国が弱小国を植民地支配してきたのも、、、

弱肉強食の西洋的感覚からすればむしろ当たり前ことでした。

それが褒められることであっても、非難されるものではなかったのです。

 

そして、今現在。

彼らが作った国際的スタンダードが資本主義、自由民主主義、社会主義共産主義です。

タイトルこそ色々ですが、基本構造は全く同じです。

一部の権力者が下部を支配、管理するピラミッド型支配構造なのです。

 

極端に言えば、、、

タイトルは、被支配階級を手なずけるためのツールでしかありません。

家畜を棒でひっぱたいて大人しくさせるか、エサを与えて黙らせるか、麻酔を打って眠らせるかの類の話に過ぎないのです。

 

日本人には馴染まない?

おそらくこの様な感覚は、日本人には理解しにくいものなのだと思います。

日本と西洋では、社会感覚が根底から異なっているからなのです。

 

日本人には家畜を食う習慣がありませんでした。

ましてや人間が人間を奴隷として支配する習慣もなかったのです。

 

諸外国のような権力を振るう国王もいませんでした。

日本の天皇は、君臨すれども支配はしない。

国の平和と国民の安寧を祈るお方であられたのです。

 

日本は西洋的ピラミッド支配社会とは真逆なのです。

 

今の世界の構図

日本は、もともとは和の精神に基づく自立形自由平等社会でありました。

だから、、、

日本では西洋のように自由、人権、平等を大声で叫ぶ必要がなかったのです。

日本に自由、人権、平等を奪われた奴隷など存在しなかったのです。

 

しかし、それが、、、

皮肉にも、逆に西洋的ダブルスタンダードにすっぽり嵌められる結果になりました。

日本人は、西洋的ダブルスタンダードに慣れていなかった、、、、。

つまり、免疫がなかったのです。

それで、彼らの本音(党派心)を隠したうわべの自由、人権、平等を真に受けてしまったのです。

 

そして今では、、、

すっかり日本も西洋的思想に洗脳されてしまいました。

資本主義と自由民主主義というタイトルのもとに、体よく彼らのピラミッドの下部構造に組み込まれています。

これが、今の世界の構図です。 

 

本当ならば、、、

西洋的価値観に真っ向から立ち向かい、その偽善、矛盾、間違いを正し、世界の真のスタンダードになり得るのが和の精神でした。

それが、今では逆に西洋的ダブルスタンダードによってしっかりコントロールされてしまっているのです。 



和の精神とは

 

 

和の精神とは、三つのポイントで説明できます。

主座を守る。

党派心を立てない。

独善を避けるの三つです。

 

主座を守る

主座を守るとは、外的には自立(主体性)を守ることであり、内的には心に一本軸を立てる(信念)ということです。

ダブルスタンダードです。

 

日本人は、おおよそ誰でも何事も極めれば真実という一本道に通じるということ理解できます。

それで、日本人は武士だけでなく、職人も商人も農民も芸人もその道を極めることを目指してきたのです。

何をするかよりも、どれだけ極めたかに価値を置くのです。

和の精神の真髄がここにあります。

 

日本に西洋のような宗教差別がないのもこのためです。

どんな宗教も極めれば一つの道(真理)に通じるということを

日本人は理解しているからです。

一つの道(真理)に通じるならば、それが神道でも、仏教でも、儒教でもどこから入っても問題ないからです。

 

それに対し 

西洋は、ダブルスタンダードです。

精神の一番の根っこからが違っているのです。

西洋思想の根底はA 対 B の弁証法的対立理論です。

そこから派生する精神とは

勝者こそ善なりとする権力主義と

真実よりも勝つこと重視の理屈(ダブルスタンダード)です。

 

キリスト教が一つの神を信仰しているから排他的になると主張する人がいますが、正確に言うと少し違います。

A 対 B の弁証法的対立思考が原因です。

AもBもどちらも自分の優位や正当性ばかりを主張するようになります。

それで

自分以外認めないという排他性ばかりが表面に現れるのです。

 

 

党派心を立てない。

和の精神の対立概念が党派心です。

党派心とは利害を中心としとして徒党を組み私利私欲をみたそうとする心です。 

日本では古くからこのような党派心を汚いものと認識していました。

聖徳太子の定めた17条憲法では第1条で「人にはたむら(党派心)あり」と諍いの原因にこれを指摘しています。

諸悪の根源を心の中にまで踏み込んで捉えているのです。

つまり、、、 

和の精神は、人間は誰でも心の中に悪いもの(党派心)を隠し持っている。 

この前提から始まっているのです。

自分の中にも、相手に中にも当然それがある。

それで、どうするのか?ということです。

必然的に、、、

心の潔白さを求めるようになります。

 

 

対して

西洋では党派心を助長しやすい仕組みになっています。 

A 対 B の弁証法的対立理論は、一つの真理を導くのに有効な面があるのは確かです。

しかし、一方で権力欲(党派心)を正当化するにも非常に有効なのです。

西洋的弁証法は、AもBも先ず自分が正しいという前提に立つからです。

自分の中に悪意や欲望(党派心)があったとしてもそれを表に出すことはしません。

もしそれを認めてしまったら相手につけ込まれるだけです。

それで、、、

心の中の悪いもの(党派心)は隠すもの、正当化するものなります。

 

そうなるとAとB という理念が衝突した時に、

その対立は終わらせるのはもはや真実ではなく力です。

 

それで、、、

どちらか一方が相手を完全に叩き潰すまでは終わいらないということが起こります。

だから西洋の戦争は悲惨です。

皆殺しが原則なのです。

自分が絶対正しいという独善がAにもBにもあるのですから

終わるはずがありません。



独善を避ける。

和の精神は先ず「主座を守る」です。

心の中の一本軸(道理)を守ることです。

 

そして「党派心を立てない」です。

これは、人間とは間違えるものだという前提です。

人は誰でも私利私欲とか権力欲などの汚い心があるんだということに対する自覚です。

 

それで「独断するな」です。

これは独善対策です。

人間は自分が正しいと思っていても間違えるものです。

ましてや人の上に立つ者は、権力欲と私利私欲がくっつきやすい。

いっそう間違いやすいのは言うまでもありません。

それで17条憲法の最終章で「重要なことは衆知を集めて話し合え」と言っています。

念には念をということです。

日本人は、太古の昔から権力者の独善を平和を害する最大の元凶と捉え、その対策を講じてきているのです。



対して、、、

西洋思想では(極端に言いますが)

つまるところ権力万能主義です。

ピラミッドの頂点で下部を支配管理するためには力こそが正義なのです。

力とはすなわち武力、経済力そして言論力です

 

相手をねじ伏せるのが第一目的です。

真実は二の次です。

だから力と真実のダブルスタンダードなのです。

では、どうしたらいいのか?です。

 党派心とピラミッド形支配主義(グローバリズム)は裏表、原因と結果、需要と供給の関係があります。

 理由はともあれ、私たちが自ら和の精神を捨ててしまったのです。

結果として私たちの選択が党派心に傾いてしまったということです。

相手を批判しても始まらないのです。

 今や、、、

和の精神という言葉はありますが、中身は空っぽです。

中身のない和の精神など単なる迎合でしかありません。

 

それで今の日本人は、強いものに迎合することを和の精神だと

勘違いしています。

 

それで、、、 

もう一度中身を取り戻さなければいけません。

主座を守る。党派心を立てない。独善を避ける。です。