マルクス主義がどうしてこれほどまでに根深いのか?

マルクス主義がどうしてこれほどまでに根深いのか?

 

1992年ソ連の崩壊と共に共産主義思想も終焉したかに思われました。

しかし、その思想は今でも生き続け健全な人間の精神を蝕んでいます。

では、なぜこれほどまでにマルクス主義がしぶといのか?

その理由について考えてみたいと思います。

 

かつて、資本主義の発展に伴い、社会に貧富の格差という歪みが生じました。

一握りの人間が富を手にする一方、貧困と重労働に喘ぐ労働者たちが生まれたのです。そのような背景の中で登場してきたのがマルクス主義です。

貧困と重労働に喘ぐ労働者たちにとって、平等で平和な理想世界が来るというマルクスの思想は、まるで福音のように聞こえたとしても無理はなかったのかも知れません。

戦前戦後の日本で共産主義思想が急速に浸透していったのも、貧困と格差という問題が大きな要因であったことは否定できません。

 

しかし、貧困と格差という問題が、本当の問題であったならばソ連の崩壊と共にマルクス主義は消えてなくならなければなりません。

マルクスのいう平等で平和な世界は来なかったからです。

 

そう考えるとマルクス主義の本質は、別のところにあると言わざるを得ません。

それは『恨みの拡散、秩序の破壊、噓と暴力の正当化、人間の人間による支配』です。

 

啓蒙思想という理性万能主義のひとつの到達点とも言えるのがマルクス主義ですが、何が優れていたかというと歴史は科学的な法則に従って発展してきたという唯物的歴史観があり、人間を労働力として捉える唯物的経済観があり、全てのものが対立関係によって発展するという唯物的哲学があったことです。

神がいない物質のみの歴史観(縦軸)と、労働力という人間観、経済観(横軸)が人間の心を縦横に突き刺してしまったのです。 

神仏を敬う心、人間の良心、譲歩とか助け合いというような美徳のような人間性というものは一切合切否定され、それが理論によって裏付けされているのです。

そうなるともう歯止めがかかりません。

神も仏もない、人間の良心も美徳もない、対立による進化発展する物質が全ての世界に出来ない悪事など何もないのです。

 

平等というのは、単に人を欺く方便です。

今の進化したマルクス主義は、如何に人を欺き、人の恨みを増幅させ、平和と秩序を壊して『人間と経済と土地や資源という物質』をいかに自分のものにするかという際限のない欲望を果たすためのツールになっているのです。