不幸について考えてみる9
不幸の本質は考えることを放棄してしまうことにあります。
考えることを放棄してしまうと、心のすき間に悪い想念が入って来て、自分の心が他人に乗っ取られてしまう危険があります。
このことを、
徒然草を参考にして考えてみたいと思います。
第235段
「主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来る事なし。」
主人がいる家には、見ず知らずの人が勝手に入って来る事はない。
主人のいない家には、通りすがりの人もみだりに立ち入る。
狐やフクロウのような物も、人気がないのをいいことに、したり顔で入ってきては棲む。
更には、木霊などという怪しい霊魂まで現われる。
(中略)
空っぽなところに、物がよく入るのだ。
私たちの心に、様々な想念が好き放題入って来ては浮かぶのも、心(に主体)が無いからである。
心に主人がいるならば、心の中に取るに足らない想念は入って来るはずがない。
(現代語訳は筆者によります)
自分で考え判断するという心の主体がないと、、、
色々な想念が心の中に土足でずかずかと入り込んできます。
それの想念が、人を悩ませるのです。
放っておくと、その外から入って来た他人の想念が主人づらをすることになります。
自分の心が他人の想念に乗っ取られてしまっている状態です。
実は、このようなことは私たちの周囲に当たり前のように起こっているのです。
あなたは、このようなことを感じたことは、ないでしょうか?
「ねばならないという強迫観念で動かされている自分がある。」
「人の評価に意味もなく振り回されている気がする。」
「他人の目を気にして、素の自分を押し殺してしまう。」
「みんながしてるから、何となく自分もしている。」
「なにも考えずに、友人の怒りなどの感情に同調してしまうことがある。」
もし、一つでも当てはまるものがあると思ったならば、
もう一度自分の心を点検したみたほうがよいでしょう。
今の自分の感情や行動が、果たして本当の自分から来ているのか?
それとも、外部からの入って来た何者かの想念から来ているのかをです。
もし、本当の自分でないものがそこにあったら、早く追い出す必要があります。
外部からの想念に自分の心を占拠されているとしたら、自分の人生も、幸福もあったものではないからです。