不幸について考えてみる10

不幸の真相

 

不幸の真相についてまとめてみたいと思います。

自分の中に「自分で考え判断する」という心の主体がないと、色々な想念が心の中に入り込む事態を招いてしまいます。

入り込んできたその想念は次第に幅を利かせるようになり、やがて本当の自分に取って代わり主人づらをするようになります。

するとその人は、外部からの侵入した何者かの想念に操られて生きるようになるのです。

これが不幸の真相です。

自分が不幸だと思う人のほとんどは、これです。

不幸とは外部の想念によって、本当の自分を見失っている状態のことなのです。

 

よく考えてみましょう。

人は、学びながら成長します。

仏の教えに学べば仏になるし、武士の教えに学べば武士になります。

盗賊の教えに学べば盗賊になり、獣に学べば獣になるのです。

つまり、人の心とは何を学ぶかによって変わるということです。

 

ということは、、、

今の自分の心は、外部から取り込まれた知識や経験の集積によってできているのは間違いないことです。

問題は、それが、本当の自分なのかどうか?

という話です。

知識や経験が正しく消化吸収されて、自分の血肉になっている、、、のではなく、

外部から取り込まれた知識や経験といったものに、自分がコントロールされているだけなのではないか?

ということです。

 

そのように考えると、、、

宗教の教えが、すべて逆説になっていることもうなずけるのです。

自己否定せよ!

無我になれ!

無私無欲になれ!

自分の思いを捨てよ!などです。

これは、あなたが、自分だと思っているものを一度疑ってみなさいということに他ならなりません。

 

逆説の最たるものに「仏に逢うては仏を殺し」「父母に逢うては父母を殺す」(臨済録)というものがあります。

これも同様の脈絡で考えることができます。

仏の教えや、父母の教えがいかに貴いものであったとしても、

もし、あなたがそれを鵜呑みにしているだけならば、

それは、本当の自分を生きているのではありませんよ。と、

あなたは教えに囚われているだけに過ぎないんじゃないですか?と、言っているのです。

 

それで、殺してみよ!と、

殺してみれば、それが血の通った本物なのか?単なる錯覚の類なのか?

が分かるという話です。

殺すことによって始めて、偽りの自分から解脱することができるというのです。

 

偽りの自分からの解脱

このことを、私たちはもう一度よく考えてみる必要があります。

親の想念、社会的通念、損得勘定などの欲得の想念、あるいは男女間の愛憎の想念など、、、、

私たちは、様々な、想念に取り憑かれて生きているのです。

自分の人生を生きているようで、もしかしたら、誰かの想念に動かされているだけなのかも知れないのです。

もし、その想念が悪いものであったら、、、これほどの不幸はありません。

心の中に何食わぬ顔して住み込んでいる他人の想念、、、

もし、そういうものがあるならば、すぐにでも追い払ってしまうべきです。

偽りの自分を殺す!ということです。