不幸について考えてみる3

鴨長明方丈記]から見る

「避けがたい現象としての不幸」と「心の悩みとしての不幸」

 

1避けがたい不幸

 

方丈記より]

私が物心ついてから、かれこれ40年余の年月を過ごしてきたが、その間に予想もしない5つの災いに遭遇した。

まず一つが、私が23歳の時に経験した安元の大火だ。

その火の災いで多くの人が煙に巻かれて、あるいは炎に巻き込まれて死んだ。

身一つで何とか逃げ出せたとしても、家財や財宝の一切は灰燼に帰した。

焼け落ちた公家の家は16にのぼり、その他大小の家のことごとくが消失した。

なにしろ平安京の三分の一が焼けたのだ。

死者は数千人におよび、焼け死んだ馬や牛は数え切れない。

 

二つ目は、その3年後に起きた治承の辻風だ。

今度は都の東北に激しいつむじ風が巻き起こった。

その中に巻き込まれた家で、壊れなかったものなどなかった。

強風は塵を舞い上がらせ、前を見ることもできず、轟音が轟き、人の声も聞こえなかった。 

地獄に吹くという「業の風」でも、これほどひどいとは思えない。

 

災いの連鎖は、一向に断ち切られる様子はなく、同じ年に三つめの災難がやってきた。

その災いとは、自然災害ではなく人災であった。

なんと、都として400年の歴史を刻んでいた京を捨て、福原に遷都することが決まったのだ。

国の中枢にいる人間たちは、都をさっさと捨て我先にと福原に移動した。

都は、見るも無残なほどに荒れ果てていった。

一方、福原の新しい都は完成する様子はない。

元々福原に住んでいた人は、都から来た人間が強制的に土地を奪ってゆくことを不満に思い、新しく移住してきた者達は、新しく家を建てる煩わしさを嘆いた。

その結果、福原に移動してからわずか半年で都を京に戻すことが決まったのだ。

しかし、軒並み壊してしまった家屋敷は、すぐに元通りになるものではない。

 

そのような世間の混乱の中、四つ目の災いが起こった。

それが、養和の大飢饉だ。

日照りや洪水が相次ぎ、町中に餓死者があふれた。

鴨川の河原には、あまりにも多くの死体が捨てられたため、馬や牛車の通る道さえなくなったほどだ。

高価な家財道具を売って食料に変えようとしても、それを欲しがる者などいない。

飢饉という異常事態において、食べられない財宝より食べられるあわの方がよっぽど価値があるからだ。

身分の高かった者も、家を一軒一軒訪ね歩き食べ物を恵んで欲しいと頭を下げて回るほどに落ちぶれていた。

困窮を極めた者の中には、寺に忍び込み仏像やお堂の調度品を盗んできては打ち砕き、まきとして売る者が現れた。

そのような罰当たりな行為をせざるを得ないほど、民は極限状態に追い込まれていたのだ。

 

そして、養和の大飢饉が起こって3年後に五つ目の災いが起こった。

元暦の大地震だ。

この地震は、並大抵の激しさではなかった。

大地は裂け、水は吹き出し、山は崩れ、川は埋まり、そして津波が陸を覆った。

都の中で無事であった建物など一つもなかった。

地面の動く音、家が崩れていく音は、もはや雷鳴のごとく凄まじいものであった。

家の中にいれば押しつぶされ、外に出れば地割れに巻き込まれてしまう。

羽のない人間には、一切の逃げ場が許されていないのだ。

この世には数多くの恐ろしいものがある。

しかし、地震を超えるものはないと私は思う。

 

鴨長明の生きた時代に、火事、竜巻、人災、飢饉、地震と、まれに見るような災害が立て続けに起こりました。

そこに住む者にとっては、避けがたい不幸です。

 



2心の悩みとしての不幸

 

方丈記より]

この世とは、そもそも生きにくいものだ。

そして、人も人の住む家もはかなく、空しい。

そのことは、今まで話してきた通りである。

 ましてや、人間にはいろいろな悩みがある。

その悩みも、その人の環境や境遇によって様々があり、数えあげればきりがない。

 

例えば、自分が大した身分でもないのに、社会的権力を持った人間の家の隣りに住むようになったとしたらどうだろう。

隣人の目が気になって、嬉しいことに大声で喜ぶことも、悲しいことに声を上げて泣くこともできはしない。

これでは、まるでスズメが鷹の巣のそばで生活しているようなものだ。

貧しい人間が、大金持ちの隣りに住むのも同じだ。

朝夕に自らのみすぼらしさを恥じ、自宅に出入りすることにさえ卑屈になる。

権勢を持つ者は貪欲になり、孤独に生きる者は軽んじられる。

財産があれば不安になるし、貧しければ恨みがましくなる。

人に頼って生きれば、わが身が不自由になり、人を愛せばその思いに囚われる。

世間の流れに従えば窮屈だし、従わなければ変人扱いされる。

 

いったい、どこに住んで、どんな風に暮らせば、ほんのしばらくでもこの身を落ち着かせ、せめてつかの間、この心を休ませることができるのだろうか? 

 

長明は、さらに人の心の悩みに言及しています。

人の目を気にして自分を押し殺したり、

人と比較して傲慢になったり、卑屈になったり、

財産に執着したり、人間に執着してみたり、

あるいは孤立してみたりと、、、

人は、それぞれの立場で様々な悩みがあり、どちらに転んだとしても心が休まることがないと言うのです。 

 

では、、、

このような「自分の心が作り出している不幸」「天変地異のような現象としての不幸」はどちらが本当の不幸なのでしょうか?

 

長明は、このように言っています。

 

方丈記より]

悲惨な災害を経験した民衆の多くは、毎日平穏無事に生きているだけで十分幸せであると感じていたようだった。

もしかしたらこの災いが、これまで世の人々の心を蝕んでいた煩悩を飲み込んでいったのではないか?

私はふとそう思うことがあった。

しかし、それはただの勘違いでしかなかった。

何年か経っと人々は、あのとてつもない悲劇が、まるで過去に存在していなかったかのようにふるまい、また無意味な欲望に囚われたこれまで通りの暮らしに戻っていったのだった。

 

民衆の多くは、悲惨な災害にも屈することなく「無事に生きていることだけでも幸いだ」と、前向きに捉えています。

むしろ、災害が、人々の無意味な欲望に囚われた心を吞み込んでいったのではないかと思えるほどだったというのです。

「災い転じて福となす」「雨降って地固まる」のことわざ通りです。

つまり、人間は、この種の不幸には意外と強いのです。

 

しかし、困難に直面することによって得た悟りや教訓も、時の流れと共に人の心の中から消えてしまいます。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということなのでしょう。

また無意味な欲望に囚われた元の状態に戻っていったのです。

 

人間は、災害という不幸には打ち勝つことはできても、

自分の心がつくり出している不幸については、どうにも克服し難いということなのでしょう。