不幸について考えてみる6
なぜ人は不幸の原因を知りながらもそれを捨てることができないのか?
原因のひとつは宗教にあります。
多くの宗教が『神仏にすがるという安易に逃げた』ためです。
宗教が、煩悩、罪、因縁といった人間の不幸の原因を指摘したならば、それを解決する方法を教えなければなりません。
しかし、ほとんどの場合そのことが不十分であったのです。
そのため、信仰したがために逆に一層不幸になるという弊害を生みました。
神仏を敬う人間本来の謙遜さが、いつの間にか神仏にすがる依存心に変質してしまったのです。
皮肉なことに、執着心を捨てよと説きながら、神仏にすがるもう一つの執着心を誘発させしまったのです。
その執着心は、自分たちは特別だという錯覚を生み、周囲の人間を見下す傲慢さに変化したのです。
神仏の教えは飾り物になり、信者は組織や宗教指導者に執着し、宗教指導者は地位や信者に執着し、執着心と依存心を満足させるだけの団体となってしまったのです。
もし宗教が安易に走らなかったならば、世の中はもう少しまともになっていたのかもしれません。
いずれにしても、、、
神頼みにし、あるいは人任せにし、(自分の中の問題を)見て見ぬふりをしてやり過ごして来たことが問題だったのです。
そういう意味で、宗教の時代は終わったということなのでしょう。
神仏にすがっても、自分の中身が変わらなければ意味がないからです。
これからは、自分の問題として一人一人が取り組んでゆく時代となるのでしょう。
不幸の原因さえ明らかになったなら、それを放置するのか修復するのかは自分が決めるべき問題だからです。