不幸について考えてみる7
なぜ人は不幸の原因を知りながら、それを捨てることができないのでしょうか?
私たちが考えることを放棄してきたからです。
歴史を振り返ってみると、、、
多くの宗教が、神仏にすがるという安易に逃げたため信仰したがために逆に一層不幸になるという現象が生まれました。
神仏を敬う人間本来の謙遜さが、いつの間にか依存心にすり替わり、神仏によって自分たちだけが救われるという特別意識(選民意識)に変質し、その特別意識が今度は周囲の人間を見下す傲慢さに変化してしまったためです。
また、多くの宗教指導者たちも、意図的に人々の依存心を煽りました。
自分たちの権力や宗教勢力を拡大するためにです。
それで、自分たちの神に依らずしては救われないというような行き過ぎた宣教活動をしてきた宗教も多いのです。
宗教指導者たち(もちろん全てではありません)が悪いと言えば、そうなのでしょう。
しかし、自分で考えることを放棄して、人任せにしてきた全ての人に責任があります。
不幸の原因を解決することのできない理由が、ここにあるのです。
人間にとって考えることは、ハードな仕事なのです。
人任せにして生きる方が、どれだけ楽か知れません。
しかし、この安易さが裏目に出てしまっているのです。
自分で考えずに人任せにすること。
この安易な思いが、都合の悪いことは見て見ぬふりをする悪習をつくり、世の中の不幸を容認する現状に繋がっているのです。