不幸のからくりⅨ

グローバリズムナショナリズムの本質

 

「主座を保つ」という言葉があります。

松下幸之助先生の言葉です。

 

これは、、、

「日本人としての自立性・主体性を保つ」という意味ですが、

松下先生は、これを日本の伝統精神の一つに挙げています。

 

例えば、、、

聖徳太子の隋の煬帝に対する姿勢。

北条時宗元寇に対する姿勢。

信長、秀吉、家康の南蛮人に対する姿勢。

大久保利通など幕末維新期の人物たちの西洋列強に対する姿勢。

そして、清国、ロシア、アメリカに対しても一歩も引かなかった戦前までの日本の姿勢。

 

確かに、、、

松下先生の言われる通り、

日本は、どんな大国に対しても常に主座を保ってきた、、、

と言えるでしょう。

逆に言えば「主座を保つ」ことが出来なかったら、

日本は滅んでいたかも知れない、、、

ということです。

 

事実、

歴史上、大国によって滅ぼされた国は数多く存在しています。

そのような国々は、結果として「主座を保つ」ことが出来なかったということになるのでしょう。

 

つまり、、、

「国も個人も主座を失ったらおしまい、、、」ということです。

 

それで、、、

今の日本は、、、?

今の日本人は、、、?

果たしてどうなのか、、、?

という話です。

 

グローバリズムだ、平和主義だ、、、は良いのですが、

それは、国が主座を保つことが前提にあっての話なのです。

 

国が主座を保つことが出来なかったら、真の平和も自由も幸福も、、、ましてやグローバリズムもありません。