弁証法と和の精神Ⅵ
単に私腹を肥やそうとする者が、意図的に右だ左だという対立の構図をつくり出し、勝者万能の土俵(弁証法的思考の世界)に我々を誘導しています。
その目的は、何でしょうか?
彼らは、和の精神を日本人の心の中から消してしまいたいのです。
彼らからすると、和の精神を持つ者こそが大敵だからです。
和の精神を持つ者たちを放っておくと、自分たちの魂胆(悪だくみ)が見抜かれてしまうことを自覚しているのです。
明治維新後、そして大東亜戦争後、日本に西洋思想が大挙して入って来ました。
そして、西洋のものは良いもの、日本のものは古臭いもの、、、というような風潮が生じ、現在にも続いています。
お判りでしょうか?
弁証法的論法にまんまとやられているのです。
本当は逆です。
和の心(清廉潔白な心)を中心に置いたときにこそ、弁証法的思考は道理に合うのです。
だから、、、「和魂洋才」と言って言っていた時代はまだよかったのです。
日本的なもの(テーゼ)に対して西洋的なもの(アンチテーゼ)という対立軸を立てる、、、これは、彼らのやりかたです。
知らず知らずのうちに、、、勝ち負け、優劣、争い、支配・被支配という彼らの土俵で相撲を取らされている、、、のではないでしょうか?
そして、今現在明らかに彼らの論法が優位に立っています。
和魂洋才の和の魂が廃れつつある、、、のです。
たとえば、、、。
資本家に対して労働者
保守に対して革新
貴族と平民
支配者と被支配者
極右と極左
勝ち組と負け組、、、
この様に、なんにでもに線引き(分断)して、対立概念でものを捉えようとします。
でも、、、よく考えてみましょう。
このような線引きをすることに、一体どのような意味があるのでしょうか?
学校教育でもマスコミでも、このような不毛な弁証法的理論が蔓延してしまっています。
それで、、、我知らず互いに批判し、人の足を引っ張り、相手に打撃を与えることに躍起になってます。
しかも、無自覚です。
まるで、それが良いことのように錯覚しています。
これを、、、「踊らされている」と言わなかったら、、、
他になんと表現できるでしょうか?
自分のやっていることが、正しいのかどうなのか、、、自問自答することもできなくなりつつあります。
もう一度言いますが、もともと線引きする必要のない人間社会に右だ左だとタイトルをつけて対立させるのは、人間の中にある党派心を煽るための工作理論です。
その出どころは、混乱に乗じて私腹を肥やそうとする人間の悪意にあるのです
日本は、本来強きをくじき弱きを助く清廉潔白な大和魂を伝統とする国です。
勝者が弱者を支配する、、、ましてや腹黒い悪代官が権力を振るうような勝者万能の世界には馴染まないのです。
私たちは、今、、、
私たちの根底に脈々と流れている清廉潔白なる和の精神を覚醒させる時を迎えているのではないでしょうか?