権力(人の心に錯覚を与えるもの)

不幸の原因は錯覚にある。

不幸になりたくなければこの錯覚を無くせばよい。

そこで、今回のテーマは権力である。

 

「馬鹿と煙は高いところに上がる」という言葉がある。

「サルもおだてりゃ木に登る」という言葉もある、、、どうも人間は、高いところに登る習性があるようだ。

もちろん高いところとは人の上、、、である。

要は「偉いとか立派」と言われたいということだ。

そう言われると気分がいい。自尊心を満たすからだ。

それで漠然と、そこ(高いところ)に幸せがあると思ってしまう。

しかし、それは「錯覚」である。

 

高いところに幸せがあるとは限らない、、、真実はむしろ逆である。

高いところに行けば行くほど、そこから転げ落ちる危険性は増すだけなのだ。

 

毒上司

毒上司というのがある。

「言うことを聞かないなら、君の居場所なくなるよ~」などと脅して部下を思いどおりに支配しようとする、部下を罵倒し人格を否定する、部下の手柄を横取りする、自分の好き嫌いで部下を差別する……。

地位を利用して権力を振るう上司のことだ。

私の知り合いにも「宴会で裸踊りを強要された」と不満を漏らす者がいる。

権力を持つがゆえに「何かを錯覚してしまう」人というのはどこにでもいるものだろう。

そして、そういう権力者の下で苦労している人も多い。

 

権力とは

権力を定義するならば、責任者の持つ決定と強制と言えるだろう。

責任者が決定権を持つのは、組織を舵取りするためであり、決定に強制力が伴うのは、秩序を維持するためだ。

だから組織というものがある限り、権力というものは付き物である。

 

権力を持つ者が陥る罠

言うまでもないが、権力者に求められるのは「公正であること、判断を間違わないこと」だ。

しかし、現実の世の中ではそれをはき違えてしまうことが多い。

その原因は、権力を持つ者が「自分が偉くなった」と錯覚してしまうことにある。

 

地位(権力)があるというだけで、部下は言うことを聞く。おだてたり、胡麻をすったり権力者を持ち上げるお調子者もいる。権力に取り入ろと私利私欲に働きかけてくる者もいる。

最初は公正を期していた決断も、だんだんと、私情が介入し、私欲が絡むようになる。

知らず知らずのうちに「公正さ」を見失ってしまうのだ。

 

政治家たちを見れば分かる。

最初から「権力を振るいたい」といって政治家を目指す人などまずいない。

ほとんどの人は「日本をより良い国にしたい」と思って政治家を目指すのであろう。

しかし、権力を手にした瞬間にどこかで「錯覚」してしまう人がいる。(政治家を批判するつもりはない)

「自分が偉くなった」と錯覚してしまうと、当然判断が「独善的」になる。

「独善的」な人物が日本国民の利益を代弁できるはずはない。

 

もしあなたの中に「高いところに上がって喜ぶ」気持ちがあったなら、気を付けたほうが良い。「自分を見失っている」可能性がある。