たぬきの尻尾Ⅻ

では、自分の中のたぬきとは何でしょうか?

 

一言で言うと甘え(依存心)です。

 

「誰かが自分を幸せにしてくれる、、、」

というの甘え(依存心)による幸福観に

すべての端を発しています。

 

でもこれは、、、

幸福というものを取り違えています。

 

なぜなら、、、

人から与えられる真の幸福など有り得ないからです。

人から与えられるということは、人から奪われることでもあるからです。

 

つまり、、、

自立心のない幸福はない、、、

ということです。

 

しかしながら、、、

自立するということは、ある面たいへん厳しいことです。

どんなことがあっても、自分が責任を負うという覚悟が必要だからです。

奪おうとする者が現れたら、命をかけても守らなければなりません。

 

それで、、、

「責任は負いたくない」「覚悟はしたくない」、、、

だけど「幸せになりたい」という甘えた幸せを願う人が出てきます。 

 

でもこれは、

ないものねだりをする子供と変わりはありません。

無理な注文、、、だということです。

 

つまり、、、

自分の中のたぬきとは。

「幸せになりたい」と言いながらも、

「自立したくない。」「責任取りたくない。」と甘える心です。

 

そして、、、

それが矛盾してることに、、、気付かないことです。

 

さらには、、、

その矛盾を突かれたくない、、、と

無意識的に甘えた心をかばおうとすることです。

この誤った自己保身の念が、矛盾を矛盾のまま曖昧にして誤魔化すのです。

 

これが、、、

たぬきの温床になっているのです。

たぬきは、それ(曖昧・誤魔化し)を隠れみのにして働き続けます。

 

たぬきを炙り出さない限り、、、

世の中の不幸のパターンは、繰り返され続けるのです。