たぬきの尻尾Ⅵ

たぬきは謙遜な心情が大嫌い!

 

ソクラテス無知の知を説きました。

エスキリストは神への謙遜を説きました。

 

考えてみますと、、、

これは、特別なことではありません。

私たち人間にとって、神様、霊界、人生、運命など、人知では計り知れないものが、多くあります。

これらのことを、もし知っている、、、という人間がいたら、むしろその人の方がおかしい、、、のです。

だから、

普通の良識のある人間は、偉大な力の存在を認め謙遜になるのです。

 

ところが、、、

たぬきは、、、こういう人間が大嫌いです。

 

なぜなら、、、

謙遜な人間はコントロールしにくいからです。

謙遜な人間は、自分が「無知であることを知っている」ので、何かを決めるときには、神に祈ったり、先人の知恵に学んだりします。

 

また、自分が「神でないことを知っている」ので、自分が絶対だ!なんて考えもしませんし、相手に対して無暗に批判することもありません。

 

つまり、、、

謙遜な人間とは、A対Bの弁証法的論法には引っ掛かり難い、、、心の中に縦軸を持つ人達なのです。

 

逆に、、、

傲慢な人間は、「自分が知っている」と思っていますから、真実を学ぼうとはしません。真実と異なることも自分が正しく、真実が間違いだと判断するのです。

彼らは、「自分が神ではないことを知らない」ので、マウントをとる(人を支配する)ことが大事です。相手の立場を理解するなど、論外なのです。

当然、、、A対Bの弁証法的論法で対立意見を、いかに批判し、叩き潰すかに熱中します。

 

このような人こそが、、、

たぬきの猫じゃらしに飛びつくタイプの人たち、、、です。



ソクラテスもイエスキリストも当たり前のことを言っただけなのに、、、殺されました。

その構図は、全く一緒です。

そして、その構図は、今も変わっていません。

 

つまり、自分が神であると錯覚した傲慢な人間が、真実の神(謙遜な人間)を葬る、、、という構図です。

 

黒幕は、たぬきです。

実行犯は、たぬきに乗せられた(錯覚した)傲慢な人間たち、、、です。

では、、、

何のために、、、?

そんなことをするのでしょうか?

 

理由は簡単です。

謙遜な人間ばかりだと、、、天国(平和な世界)が出来てしまうから、、、です。

 

そこにたぬきの居場所など、、、ないからです。