弁証法と和の精神Ⅴ
分断工作というものがあります。
例えば、幕末時代にイギリスは薩長に擦り寄り、フランスは幕府を後押ししました。
彼らは、幕府と薩長の双方に武器弾薬を提供し、互の対立を後ろで煽って内戦を引き起こさせようとしたのです。
これは彼らの常套手段です。
AとBの対立軸を作る。
AにもBにも金、武器、情報を提供する。
意図的に利害対立を煽りAとBを戦争に誘導する、、、。
戦争でAもBも疲弊し、双方ががボロボロになった頃を見計らってAもBも支配する、、、弁証法的思考を悪用した侵略工作です。
彼らが意図的にAとBの対立軸を立てるのは、正義とか真実のためではありません。
最初から彼らの欲望を満たすためです。
彼らは、自分の私腹を肥やすため世界中でこのようなやり方(分断工作)を実行し、多くの土地、財、人命を奪いました。
世界中が彼らの支配下(植民地)に堕ちてしまったのです。
でもなぜ?
彼らは、このような悪辣非道な残虐行為ができたのでしょうか?
答えは明白です。
和の心(清廉潔白な心)が希薄だったということです。
損得、利害、優劣、支配・被支配というAとBの二者択一の思考方法においては、力の優れた者が、力の劣った者を支配し、利益を得るということは理にかなったことになり得るのです。
勝者万能という弁証法的思考における最大な欠陥です。
日本は幸い大きな戦争に至りませんでした。
日本人の中に和の心(清廉潔白な心)があったからだと思います。
そのために彼らの魂胆を見抜くことができたのです。
そう考えると、和の精神というものがいかに普遍的で、本質的なものであるかが分かります。
例えば、、、
世の中に何か悪いことが起こった時に「自分が悪い、、」と自問自答する人間ばかりであったら、世の中がそれ以上悪くなることがあるでしょうか?
世の中に戦争や不幸を引き起こしているのは A と B という対立概念でしか物を考えられない人なのです。
幕末の時代に重要な役割を果たした人物の一人に山岡鉄舟がいます。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。」
名誉や地位や金で自分の心がぶれることがない、、、まさに和の精神です。
彼らの中には、佐幕派と倒幕派と言う単純な対立概念だけがあったのではありません。和の精神があったのです
それで日本は西洋の餌食(植民地)にならずに済みました。
何も要らない(心がぶれない)、、、実はこれが、悪(対立概念を意図的に仕掛けてくる者)に対する最大にして唯一なる武器となります。
彼らからすると、命を惜しみ、名に執着し、官位と金に囚われた人は、いかにでも始末できる、、、からです。