グローバリストとは拝金主義者2

キリスト教精神が廃れたのはそんなからくりだったの?

    もしかして和の精神が廃れたのもそれに関係あるの?

それも、西洋的ダブルスタンダードを掲げた拝金主義者の

    介入のためです。

                

ご存知のように、、、

かつての日本人は、西洋のキリスト教を受け入れてきませんでした。

秀吉にしても家康にしてもそうでした。

それは、キリスト教が嫌いだからではありません。

キリスト教に入り込んでいる西洋的ダブルスタンダード(拝金主義者)を嫌ったからです。

彼ら(グローバリスト)は、神の名を語り奴隷貿易をしたり植民地支配をしてきたわけですから、和の精神を重んじる日本人が受け入れるはずはないのです。

それで、最終的に、、、、

グローバリスト(拝金主義者)に屈しない国が世界で日本だけになりました。

その結果起こったのが大東亜戦争です。

これは日本の和の精神と西洋的ダブルスタンダード思想の戦争といってもいいものです。

残念ながら、日本は負けました。

真実の力で負けたのではありません。

弁証法的詭弁の力と金の力と軍事力によってです。

その結果、、、

和の精神(日本の真実)の抹殺が行われてしまったのです。

西洋思想は良いもの日本の伝統は悪いものという彼らの弁証法的論法によって徹底的につぶされてしまいました。

それで今では、、、

カネさえ儲かればいい、自分だけ良ければいい、今だけ良ければいいの日本人が出来上がりました。

西洋的ダブルスタンダード(拝金主義者)の支配下に完全に落ちてしまったのです。 

今や和の精神という言葉は名ばかりになってしまいました。 

『和の精神』と『迎合』との区別すらもつかなくなってしまっているのです。 

 

グローバリストとは拝金主義者

 

キリスト教精神がなぜ廃れたか?について話したいと思います。

                 

                  え~どうして??

 それは、弁証法的思考の介入のためです。

キリスト教とは、言うまでもなく神のみを主と仰ぐ信仰です。

そして「人間の中には悪いものがある」という罪の意識が前提にあります。

つまり、、、

キリスト教の基本的なスタンスは「真理)は一つである」ことと「人間(罪人)は真理の前に傲慢であってはならない」ということです。

それが、キリスト教弁証法的思考が介入することにより変質してゆきます。

人間が神真理を定義する理性主義(神より人間が上)に傾いて行きます。

するとどうなるでしょうか?

神の言葉を、色々な立場の人間が、それぞれの人間の解釈によって、色々な定義づけをし派閥を作ります。

すると、それぞれの派閥は互いに自分の主張を正当化し、譲らず、争い、分裂し戦争するようになりました。

お分かりでしょうか?

キリスト教精神が、いつのまにか弁証法理論に変わっていったのです。

人間が自分が正しいというスタンスで、神様を定義し、対立する者を認めず、批判するのです。 

これはキリスト教精神の正反対です。

神の前に傲慢であり、真理(神)を分断するものであります。

このように弁証法に乗っ取られたキリスト教は、独善的になり排他的になり、支配的になっていったのです。

キリスト教という組織は残っていても、その精神は廃れてしまったのです。

グローバルスタンダード

和の精神と西洋思想

和の精神

和の精神とは、三つのポイントで説明できます。

党派心を自覚する。

主座を守る。

独善を避けるの三つです。

 

党派心を自覚する。

聖徳太子は17条憲法第1条で「人に皆たむら(党派心)あり」と言っています。

和の精神は、人間は誰でも心の中にたむら(党派心)を隠し持っているという自覚が前提になっています。

たむら(党派心)とは利害(私利私欲)を中心として徒党を組み、上に逆らったり秩序を乱したりしようとする心です。

今でも「不良学生がコンビニの前でたむろする」などという表現をしますが、何か良くない動機(怠惰など)で群れたがる思いのことをたむら(党派心)といいます。

日本では古くからこのような党派心を平和を乱す原因と認識していました。

ですから、日本の和の精神とは、言わば人間の中にある党派心を鎮めるための精神なのです。

 

主座を守る

主座を守るとは、自立した精神(心の一本軸)を失うな!ということです。

これは、逆に言えば自分の中にある党派心(二心、邪心、逆心)を去らせよ!ということでもあります。

それで日本人は古くから一途です。

どんな立場の人間でも、どんな仕事でも一つの道を極めるということをしてきました。またそれを美徳としてきたのです。

そのことを、剣豪の宮本武蔵は「士農工商それぞれに、それぞれの道がある」と言っています。

「それぞれの道において極めたその先は、すべて一つの真理に通じる」

これが和の精神の真髄というものなのでしょう。

日本人が宗教に寛容なのも、心に一本の主座を持つ和の精神の現れです。

 

独善を避ける

三つ目は「衆知を集めよ!話し合え!」です。

これは独善対策です。

人間は、たとえ神仏の教えによく学び「心を正し」判断を間違えないように心がけていたとしても「それでも間違える」ものだという話です。

人は良かれと思ってしたことが裏目に出ることは多々あることです。

自分の持つ判断の軸が常に正しいとは限らないということです。 

ましてや、人の上に立つ者は、権力と私利私欲がくっつきやすい。

真っ直ぐな軸も傾くことがあるのです。

それで17条憲法の最終章で「重要なことは独断せずに、衆知を集めてよく話し合え」と言っているのです。

これは、西洋思想でいうところに「民主主義」です。

日本では、権力者の独善を防止するための「法の支配」と「民主主義」の概念は古くから定着していたと見られます。

 

どこの国にも、権力闘争や権力の横暴というものがあります。

しかし、少なくとも日本人は、そういう権力者の独善が世の中の平和を害する元凶であるという認識を持ち、その独善を防ぐための対策を講じてきということです。

和の精神とは、自立の精神であり、自由と平等の精神であり、不正と独善を憎む清廉潔白な精神なのです。 

 

西洋思想

西洋思想は、キリスト教精神と弁証法的思考法で説明できます。

キリスト教精神

結論から言いますとキリスト教精神は、和の精神と全く同質です。

このことを、三つのポイントで説明致します。

「党派心の自覚」と「罪の自覚」

「主座を守る」と「神のみを主とする」

「独善を避ける」と「民主主義」の三つです。

 

「党派心の自覚」と「罪の自覚」

キリスト教では「人は皆生まれながらに原罪がある」と言っています。

原罪とは人間の中に二心(邪心、逆心)を抱かせる大もとになっている悪いもののことです。

これは聖徳太子が「人に皆たむら(党派心)あり」と言っているのと同じです。

ですからキリスト教も「人間には罪がある」という自覚が前提になっています。

 

「主座を守る」と「神のみを主とする」

キリスト教精神の真髄も一本軸です。

二心は罪、神(真実)は一つという明確な一本軸です。

キリスト教では蛇を悪魔サタンの象徴としています。

蛇の舌の先が二つに割れているのを、人間の二心を象徴するものとして忌み嫌ったのです。 

さらにイエスキリストは「神と富とに兼ね仕えることはできない」と言っています。

人間の心を分けるものは神と富であると断定しています。

少し砕けた言い方をしますと「金で心(神=真実)を売ったら、あなたサタンですよ!」ということです。

心の潔白性に関しては、非常に厳格です。

 

「独善を避ける」と「民主主義」

歴史上クリスチャンたちほど、権力者の独善に苦しんできた人たちはいないと思われます。

ローマ帝国のもとで迫害され、中世暗黒時代には理不尽な教会権力に支配され、絶対王政の時代には権力者の圧政に苦しめられました。

西洋で、、、

イギリスの権利の章典、フランス人権宣言、アメリカ独立宣言を経て「法の支配」と「近代民主主義」が成立するに至ったその背景に、真のキリスト教徒たちの自立の精神があったことは間違いありません。

これは、言ってみれば権力者の独善に苦しんできたキリスト教徒たちによる独善対策です。

そして、今現在彼らが勝ち取った「法の支配」と「近代民主主義」が世界の主流になっているということは、、、

キリスト教精神が、自立の精神であり、自由と平等の精神であり、不正と独善を嫌う清廉潔白な精神であることの証です。 

 

弁証法的思考法

西洋思想に決定的な影響を与えているもう一つの流れが、弁証法ダブルスタンダード思想です。 

これはキリスト教精神や和の精神の対極にある思想です。

これも三つの観点で説明します。 

「自分が悪い」ではなく「自分が正しい」

「一つの軸」ではなく「A対Bの二本軸」

「独善防止」ではなく「権力万能主義」の三つです。

 

「自分が悪い」ではなく「自分が正しい」

弁証法とはAに対してBという対立するテーゼを立て一つの真実を導くという考え方です。

これは、一つの理論の精度を高めたり、物事の真偽を見抜くのに非常に有効な考え方です。

しかし、一方で大きな欠陥(危険性)が内包されています。

それは、「自分が悪い」という内省的観点(党派心=原罪の自覚)が欠落しやすいという点です。

そのため、財欲や権力欲(党派心)と弁証法が結びついたときに、不正を正当化し真実を抹殺してしまうということが起こり得るのです。

どういうことかと言うと、、、

キリスト教精神(あるいは和の精神)は、先ず神(仏)の前に自分は正しいのか正しくないのかというスタンスを取ります。

自分とは判断を仰ぐ立場。つまり「自分は間違える」という自覚が前提なのです。

それに対し弁証法は、自分がAやBが正しいのか間違いなのかを判断するスタンスなのです。

自分が判断する側なのです。

そこには当然「自分が正しい」という前提が存在しているのです。

これが、弁証法の危険性です。

もし仮に、神ではなく、富に使える人間が「自分が絶対」という傲慢な心情でAやBを上から「正しい、正しくない」と判断を下し始めたらどうなるかという話です。

そうやって出来たのが西洋的ダブルスタンダードです。

 

「一つの軸」ではなく「A対Bの二本軸」

AもBも極めれば一つに通じるという和の精神です。

多くの日本人は、どんなことでも極めれば一つの道(真理)に通じると信じています。

またそれが美徳であると理解しています。

これは、真のキリスト教精神も同じです。

しかし、、、

西洋的ダブルスタンダードは真逆です。

一つのものを必ず二つの軸(A対B)に分けて考えます。

「物事を先ず疑う」そして「二つに分断する」さらに「対立」させて考える。

これが、弁証法の典型的思考パターンです。

 

「独善防止」ではなく「権力万能主義」

西洋的ダブルスタンダードとは、、、

富に仕える人間が「自分が正しい」という前提に立って世の中をAとBに分けて支配する思想です。

唯物的(神ではなく)富中心の弁証法です。

そして、彼らの立ち位置は、AでもBでもありません。

上(神の立場)です。

神(真実)を売ってしまった人間に、始めから正義や真実などありません。

彼らの唯一の拠り所は、富(金と権力)です。

武力、財力、言論力の3Pです。

富を背景にして目指すのは、もちろん一つの頂上(最高の権力)です。

 

西洋的ダブルスタンダードは、権力万能のピラミッド型ワンワールド実現を目指す。

ですから、、、

彼らの掲げるタイトルは、すべてAとBの分断のためです。

AとBの対立を煽るのは、金儲けのためです。

金儲けはもちろん富(支配力)のためです。

 

そのやり方、、、

彼らは、自由を掲げて世界中の富を集めることに成功しました。

それが彼らの唱える資本主義です。

そこにA資本家とB労働者という二つの対立軸を作ると今度は、平等を掲げて独裁権力を手に入れました。

彼らの唱えた共産主義マルクス主義)です。 

世界をA資本主義とB共産主義の対立関係の中に組み込んで、彼らはピラミッドの頂上に立ち金と権力を最大化させてきました。

そして、今現在。

グローバルスタンダードというタイトルで、彼らのワンワールド構想が実現に向かっています。

世界が、グローバリズム反グローバリズムの対立関係になっているのもその流れです。

 

グローバリズムの真実10

西洋社会における党派心とピラミッド型支配

 西洋社会は党派心がそのまま社会構造に現れています。

それがピラミッド型社会です。

 

一握りのトップが下を支配、管理する形です。

これは、人間が家畜を管理する形と基本構造が同じです。

事実彼らは人間を長いこと奴隷として支配してきました。

 

国王と国民の関係もそうです。

支配・被支配関係なのです。

強国が弱小国を植民地支配してきたのも、、、

弱肉強食の西洋的感覚からすればむしろ当たり前ことでした。

それが褒められることであっても、非難されるものではなかったのです。

 

そして、今現在。

彼らが作った国際的スタンダードが資本主義、自由民主主義、社会主義共産主義です。

タイトルこそ色々ですが、基本構造は全く同じです。

一部の権力者が下部を支配、管理するピラミッド型支配構造なのです。

 

極端に言えば、、、

タイトルは、被支配階級を手なずけるためのツールでしかありません。

家畜を棒でひっぱたいて大人しくさせるか、エサを与えて黙らせるか、麻酔を打って眠らせるかの類の話に過ぎないのです。

 

日本人には馴染まない?

おそらくこの様な感覚は、日本人には理解しにくいものなのだと思います。

日本と西洋では、社会感覚が根底から異なっているからなのです。

 

日本人には家畜を食う習慣がありませんでした。

ましてや人間が人間を奴隷として支配する習慣もなかったのです。

 

諸外国のような権力を振るう国王もいませんでした。

日本の天皇は、君臨すれども支配はしない。

国の平和と国民の安寧を祈るお方であられたのです。

 

日本は西洋的ピラミッド支配社会とは真逆なのです。

 

今の世界の構図

日本は、もともとは和の精神に基づく自立形自由平等社会でありました。

だから、、、

日本では西洋のように自由、人権、平等を大声で叫ぶ必要がなかったのです。

日本に自由、人権、平等を奪われた奴隷など存在しなかったのです。

 

しかし、それが、、、

皮肉にも、逆に西洋的ダブルスタンダードにすっぽり嵌められる結果になりました。

日本人は、西洋的ダブルスタンダードに慣れていなかった、、、、。

つまり、免疫がなかったのです。

それで、彼らの本音(党派心)を隠したうわべの自由、人権、平等を真に受けてしまったのです。

 

そして今では、、、

すっかり日本も西洋的思想に洗脳されてしまいました。

資本主義と自由民主主義というタイトルのもとに、体よく彼らのピラミッドの下部構造に組み込まれています。

これが、今の世界の構図です。 

 

本当ならば、、、

西洋的価値観に真っ向から立ち向かい、その偽善、矛盾、間違いを正し、世界の真のスタンダードになり得るのが和の精神でした。

それが、今では逆に西洋的ダブルスタンダードによってしっかりコントロールされてしまっているのです。 



和の精神とは

 

 

和の精神とは、三つのポイントで説明できます。

主座を守る。

党派心を立てない。

独善を避けるの三つです。

 

主座を守る

主座を守るとは、外的には自立(主体性)を守ることであり、内的には心に一本軸を立てる(信念)ということです。

ダブルスタンダードです。

 

日本人は、おおよそ誰でも何事も極めれば真実という一本道に通じるということ理解できます。

それで、日本人は武士だけでなく、職人も商人も農民も芸人もその道を極めることを目指してきたのです。

何をするかよりも、どれだけ極めたかに価値を置くのです。

和の精神の真髄がここにあります。

 

日本に西洋のような宗教差別がないのもこのためです。

どんな宗教も極めれば一つの道(真理)に通じるということを

日本人は理解しているからです。

一つの道(真理)に通じるならば、それが神道でも、仏教でも、儒教でもどこから入っても問題ないからです。

 

それに対し 

西洋は、ダブルスタンダードです。

精神の一番の根っこからが違っているのです。

西洋思想の根底はA 対 B の弁証法的対立理論です。

そこから派生する精神とは

勝者こそ善なりとする権力主義と

真実よりも勝つこと重視の理屈(ダブルスタンダード)です。

 

キリスト教が一つの神を信仰しているから排他的になると主張する人がいますが、正確に言うと少し違います。

A 対 B の弁証法的対立思考が原因です。

AもBもどちらも自分の優位や正当性ばかりを主張するようになります。

それで

自分以外認めないという排他性ばかりが表面に現れるのです。

 

 

党派心を立てない。

和の精神の対立概念が党派心です。

党派心とは利害を中心としとして徒党を組み私利私欲をみたそうとする心です。 

日本では古くからこのような党派心を汚いものと認識していました。

聖徳太子の定めた17条憲法では第1条で「人にはたむら(党派心)あり」と諍いの原因にこれを指摘しています。

諸悪の根源を心の中にまで踏み込んで捉えているのです。

つまり、、、 

和の精神は、人間は誰でも心の中に悪いもの(党派心)を隠し持っている。 

この前提から始まっているのです。

自分の中にも、相手に中にも当然それがある。

それで、どうするのか?ということです。

必然的に、、、

心の潔白さを求めるようになります。

 

 

対して

西洋では党派心を助長しやすい仕組みになっています。 

A 対 B の弁証法的対立理論は、一つの真理を導くのに有効な面があるのは確かです。

しかし、一方で権力欲(党派心)を正当化するにも非常に有効なのです。

西洋的弁証法は、AもBも先ず自分が正しいという前提に立つからです。

自分の中に悪意や欲望(党派心)があったとしてもそれを表に出すことはしません。

もしそれを認めてしまったら相手につけ込まれるだけです。

それで、、、

心の中の悪いもの(党派心)は隠すもの、正当化するものなります。

 

そうなるとAとB という理念が衝突した時に、

その対立は終わらせるのはもはや真実ではなく力です。

 

それで、、、

どちらか一方が相手を完全に叩き潰すまでは終わいらないということが起こります。

だから西洋の戦争は悲惨です。

皆殺しが原則なのです。

自分が絶対正しいという独善がAにもBにもあるのですから

終わるはずがありません。



独善を避ける。

和の精神は先ず「主座を守る」です。

心の中の一本軸(道理)を守ることです。

 

そして「党派心を立てない」です。

これは、人間とは間違えるものだという前提です。

人は誰でも私利私欲とか権力欲などの汚い心があるんだということに対する自覚です。

 

それで「独断するな」です。

これは独善対策です。

人間は自分が正しいと思っていても間違えるものです。

ましてや人の上に立つ者は、権力欲と私利私欲がくっつきやすい。

いっそう間違いやすいのは言うまでもありません。

それで17条憲法の最終章で「重要なことは衆知を集めて話し合え」と言っています。

念には念をということです。

日本人は、太古の昔から権力者の独善を平和を害する最大の元凶と捉え、その対策を講じてきているのです。



対して、、、

西洋思想では(極端に言いますが)

つまるところ権力万能主義です。

ピラミッドの頂点で下部を支配管理するためには力こそが正義なのです。

力とはすなわち武力、経済力そして言論力です

 

相手をねじ伏せるのが第一目的です。

真実は二の次です。

だから力と真実のダブルスタンダードなのです。

では、どうしたらいいのか?です。

 党派心とピラミッド形支配主義(グローバリズム)は裏表、原因と結果、需要と供給の関係があります。

 理由はともあれ、私たちが自ら和の精神を捨ててしまったのです。

結果として私たちの選択が党派心に傾いてしまったということです。

相手を批判しても始まらないのです。

 今や、、、

和の精神という言葉はありますが、中身は空っぽです。

中身のない和の精神など単なる迎合でしかありません。

 

それで今の日本人は、強いものに迎合することを和の精神だと

勘違いしています。

 

それで、、、 

もう一度中身を取り戻さなければいけません。

主座を守る。党派心を立てない。独善を避ける。です。

 

 

 

 

グローバリズムの真実9

 党派心とは!

党派心とは、自分の中の真実を抹殺する働きです。

例えば、、、

真実を求めて信仰の道に入った者が、宗教組織の中で地位ができたりするといつの間にか権力に媚びたり、権力を振るったりする真実のない人間になっていた、、、。

国のために純粋な志を抱いていた政治家が、いざ権力を手にしてみたらいつの間にか富と権力欲に汚れてしまった、、、。

会社でもそうです。

新人の頃に権力を振るう嫌な上司に苦労して、自分は絶対こうはなるまいと思っていたはずが、いざ◯◯長という立場になると、部下に権力を振るう傲慢な上司になっていた。

こういうことは珍しい話ではありません。

いえ、むしろ、、、こんな話ばかりです。

なぜでしょうか?

彼らはもともとは善良な人間だったのにです。

善良な人間が、何処かで何かの拍子にひっくり返って、自分でも嫌気がさすような人間になってしまうのです。

 

これこそが、党派心の働きなのです。

人間には、一瞬の判断の誤りを起こさせる衝動というものがあります。その一瞬の衝動が、自分の中にある真実を抹殺してしまうことがあるのです。

これが、党派心の働きです。

その結果、、、人は、自分の求めていたものと全く違う方向に引っ張られてしまうのです。

人が人生を振り返った時に「あの時にあーすればよかった、こーすればよかった」と後悔するのはこのためです。

 

善悪の判断よりも党派心が勝る人間の弱点

党派心は私利私欲と権力をくっつけようと働きます。

人が瞬時に自己保身に動いてしまうのもその働きの一つです。

それは善悪の判断よりも、一瞬速く動きます。

これが、人間の弱点です。

人間が間違えるのは、このためです。

後になって後悔するのは、善悪の判断が一足遅れてやってくるからです。

マルクス主義者が突てくる人間の弱点も、これです。

ということは、、、

逆に

人間が、党派心を克服したら人生に失敗はなくなる、、、、?

恐らくそうなります。

権力に媚びたり、金に目がくらんだり、巧みな口車に乗せられるようなこともなくなる、、、?

理屈として、多分そうなります。

 

いままでそうならなかったのは、、、

私たちが、自分の心の中身についてあまりにも無関心であったためです。

考えてもみなかったし、教えられることもなかったからです。

いや、むしろ

意図的に(人間の弱点につけ込む者たちによって)隠されてきたのかも知れません。

少なくとも詐欺師やマルクス主義者(グローバリスト)たちは、

この人間の弱点については(自分たち以外)

誰にも気づいて欲しくないと思っているに違いありません。

人間の弱点につけ込むことを生業にしている彼らにとって

これはまさに死活問題だからです。

 

党派心とマルクス主義者(グローバリスト)は需要と供給の関係?

人間が、この弱点を克服するに至ったその時は、

彼らの思想も、彼らの存在自体も消えてなくなることでしょう。

ということは、、、

私の中の党派心とマルクス主義者(グローバリスト)は連動しているということです。

需要と供給の関係みたいなものです。

あるいは裏表、因果関係、、、と言ってもいいかも知れません。

つまり、、、

結果としての彼らの悪事を責めても始まらない、、、

原因は自分の中の党派心にあるということなのです。

 

 

グローバルスタンダードの真実8

グローバルスタンダードとは

人間の主権を奪うためのプロパガンダ

 

グローバリストとは、反キリスト者であり、資本主義者であり、マルクス主義者であり、真実を歪めるあらゆる金の亡者たちのことです。

彼らの目的の全ては、一言で私たちから主権を奪うことです。

 

理由は簡単です。

私たちから主権さえ奪うことができれば、彼らグローバリストの世界支配は安泰だからです。

彼らの描く構図とは、、、

神に代わる特権階級による、グローバル秩序の完成です。

ですから、彼ら主張する自由に平等に平和とは、彼らの主権下でという隠された但し書きが付いています。

彼らにとって主権とは、自分のものであって、他の人間にあってはならないものなのです。

資本主義?共産主義

このことは、彼らの作った資本主義にも共産主義にもはっきりと現れています。

資本主義という言葉は、文字通り資本を持つ者に主権があるという意味です。

共産主義という言葉は、自分達以外の人間に主権はないと言っているのと同意です。 

つまり、これらの主義は最初から人間の主権を奪うために作られているということです。

しかし、、、

私たちは、これらグローバリストの主義思想を素晴らしいものであると思って疑いませんでした。

まんまと騙されてきたのです。

北◯鮮の言論統制によって主体思想が真実だと信じ込んでいるその国の国民となにも変わりません。

彼らの3 P 工作にすっぽりと嵌まってきた、、、ということです。

権力に媚びへつらい、金を崇拝し、言論によって騙され、、、

むしろ自分から喜んで主権を放棄するようなことをしてきました。

 彼らの人間のコントロール術は、それ程に卓越したものであったのです。

 

しかし、、、

裏を返せば、彼らは真実を恐れています。

人間が正気を取り戻し、すべての真実を理解した時のその反動が恐いのです。

自分の私利私欲のために人権を奪い、自由を奪い、豊かさを奪ってきた人間が民衆の前にどうなるか?ということです。

 

彼らは、民衆を扇動してキリストを吊し上げました。

フランス革命で国王一族をギロチンにかけたのも、ロシア革命でロマノフ家を皆殺しにしたのも彼らです。

彼らは卓越した人間コントロール術で、自分の権力の邪魔になる者を民衆の敵に作り上げ、民衆の感情に油を注ぎ、民衆の狂気の力で排除してきたのです。

民衆を怒らせたらどうなるのか、、、このことは、誰よりも彼らがよく分かっているのです。

それで、彼らも命がけです。

命がけで真実を抹殺しようとすることでしょう。

民衆が、真実を理解し、真実の主権が正しく行使されるようになったらすべては終わりです。

その時は今度は自分たちが吊し上げられる番なのです。

 

グローバルスタンダードの真実7

暴力、財力、発言力の3P工作

彼らは、力の原理を利用して徹底的に真実を抹殺してきました。

彼らのやり方は、大きく分けて三つです。

暴力で脅す、金の力で黙らせる、プロパガンダで真実を曲げる(骨抜きにする、批判する、噓をでっち上げるなど、、、、)

この三つのパワーによる3P工作です。

彼らのやり方は、いつも同じです。

これしかありません。

 

しかし、これが効くのです。

何故ならば、、、

普通の人間は、命の危険を省みず真実を主張することなどできません。

命は惜しいのです。

大抵の人は、目の前に札束を積まれれば口をつぐみます。

金に弱いのです。

一般的な人は、学者や政治家、あるいはマスコミが真実を曲げて伝えたらそのまま鵜呑みにします。

自分の目と耳で真実を確かめる人など稀なのです。

 

しかし、

それでも世の中には、真実を曲げない正しい人間はいるものです。

そして、そういう人間は文字通り消されてきた、、、

というのが人類の歴史です。

 

党派心の蔓延るこの世の中で、真実を貫くというのはまさに命がけです。

それで、イエスキリストは

「自分の命を愛する者は、それを失う」(死を恐れて真実を曲げる者には真の命はない)と言ったのです。

 

日本の武士道精神もまた同じです。

葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は、

常に死を覚悟しておかなければ真実を貫き通すことができないという意味です。

 

真実を取るのか?富を取るのか?

これは究極的に私という個人に向けられた命を懸けた問いかけと言えるでしょう。

自分の中の党派心と真の精神(真の信仰心、真の武士道精神、真の自由民主主義精神など)の戦いです。

3P工作に乗せられてはなりません。

結局のところ私たちの中の勝敗が、全てを決定します。

自分で、自分の中の真実を否定することは、真の命、真の自由、真の主権、真の力、真の財産、真の言葉、、、真実なるもの全てを放棄したことになるからです。

彼らの狙いはそこにあります。