グローバルスタンダード4
今の自由民主主義も二通り
「真実よりも金」なのか?「金よりも真実」なのか?
これは、イエスキリストが「神と富とに兼ね仕えることはできない」といった言葉に対する二通りのアンサーです。
本当のクリスチャンであれば当然「金よりも真実」を選択し、そうでない者は「真実よりも金」を選択するということです。
歴史はずっとこのせめぎ合い
西洋諸国が、血で血を洗う富の奪い合いをしてきた事実を見れば、本当のクリスチャンよりもそうでない者のほうが多かったということなのでしょう。
少なくとも権力を持つ者が「真実よりも金」を選択してきたことは明白です。
しかし、そのような富の奪い合いという力の原理が支配する西洋社会において、自由と民主主義という理念が生まれてきたのは「金よりも真実」を求めた本当のクリスチャンがいたからに違いありません。
それで、今の世界は自由民主主義が二通りあるのです。
一つはもちろん「真実」としての自由民主主義であり、もう一つは「金の亡者」が掲げる自由民主主義です。
歴史はずっとこの「真実と金」のせめぎ合いでした。
そしていま世界は「真実」が勝つのか?「金の亡者」が勝つか?の瀬戸際にあります。
2000年前にイエスキリストが「神と富とに兼ね仕えることはできない」と言ったのは、 ある面政治宗教の指導者に向けられた言葉でした。
彼らは、神の名を語りながら富に仕えていたからです。
そして、この言葉ゆえにイエスキリストは殺されました。
つまり、、、
このときは「真実」が破れ「金の亡者」が勝利したということです。
ですからそれ以降現在に至るまでずっと「金の亡者」が優勢のままに来ているのが現実なのです。
もし、、、
このまま世界が「金の亡者」の支配下に落ちたならば「真実」が全く通じない神も仏も良心もない、中◯のような完全な独裁社会が訪れることでしょう。
自由民主主義であるとは、「真実」をとるのか「金」をとるのかは私たちに選択の自由が委ねられるということであり、その大勢は民意の総計によって決まります。
2000年前のイエスキリストの問いは今私たち一人一人に向けられています。
運命の分岐点は、私たちの心の中にあります。
過去の悲劇を繰り返してはなりません。