邪気7
噓が邪気の本質2
嘘と一口に言っても、、、
自分の過失や、やましい思いを隠すための嘘もあれば、、、
人を勇気づけるためにする善意の嘘もあります。
しかし、、、
ここで問題にしているのは、、、
人を貶めるためにする嘘です。
このような悪意のある噓が、憎悪や怨念(邪気)を発生させるのです。
ですから、、、
このような噓は、単なる嘘というより呪詛と表現した方が正しいのでしょう。
例えば、、、
「経済的自立」という言葉がそうです。
この言葉には、人間の自立心を潰そうとする意図が込められています。
また、、、
憲法第9条の条文もそうです。
国際平和のためにと言いながら「戦争の放棄」をうたっています。
これには、国の主権を潰す、、、
明確な意図(悪意)が込められています。
そうなると、、、
これは、もはや噓というよりも、呪詛というべきなのです。
本来人間は、祈る存在です。
子供の健やかな成長を祈り、家内安全を祈り、国の安寧や、世界の平和を祈ります。
このような、祈りの念が、人間社会に同調と無事をもたらしています。
この祈りに反する概念が、呪詛です。
人の健全な生命を断ち、世の中の不幸や争い、転覆を念じるのです。
これほどの邪念はありません。
噓が、不幸の本質であるというのは、
歪曲された言葉に、人を呪い、世を呪う人間の憎悪の念(呪詛)が、
込められているからです。