真実が隠蔽される理由
不幸の原因は錯覚にある。
不幸になりたくなければこの錯覚を無くせばよい。
そこで、今回のテーマは「真実が隠蔽される理由」である。
私たちが、真実を認識して物事を正しく判断したら人為的不幸は無くなる。
世の中に不幸が氾濫しているのは、真実が隠されているからだ。
真実が隠蔽される構造
森友事件での財務省の組織的な隠蔽工作は記憶に新しいが、世の中に隠蔽事件は尽きない。
政治家や官僚といった国の指導者的立場にある者、自衛隊や警察といった国の安全を守る立場にある者、教育者や民間企業に至るまで、、、組織と名の付くものに隠蔽の二文字は付き物になっているようだ。
権力のはき違え
「知識を詰め込んで、地位を得て、権力を手に入れることが最高の幸福だ。権力とは支配であり、支配力とは金と武力だ、、、それも際限のない金と武力が必要だ。」
映画に出てくる悪党のことではない。
実際にそう考える者はいる。
たとえば、中国共産党などもそうだ。
はき違えた権力は「全体の為に如何に尽くすか」ではなく「如何に全体を支配するか」が前提になっている。
そのような偽りの権力者が欲しているものは実利であって、真実ではない。
そのような権力者に対して、真実とか正義を言ったら疎んじられる。
彼らが欲しているものは実利であって、真実ではないからだ。
もし彼らの不正を訴える者がいれば、組織の中ではもはやその者に居場所はない。
彼らが憎むのは不正ではなく、権力に異を唱える者だからだ。
彼らにとって不都合なことは「隠蔽」すればよい。
だから彼らにとって不都合なのは、不都合な真実を暴こうとする者だ。
真実を暴いたら殺される。
ソクラテスがなぜ殺されたのかご存知だろうか?
権力者の不都合な真実を暴いたらだ。
当時のアテネの権力の中枢に、ソフィスト「知恵ある者」と言われる者たちがいた。
彼らは、権力を手に入れるために必要な言論を作り出し政治的野望を抱く者たちを支援していた。
彼らは言論の力で民衆を支配しようとしていたのだ。
彼らの知恵とは、政治的権力を手に入れるためのものであった。
うわべは立派に装っても、中身は欺瞞に満ちたものでしかない。
しかし、一般市民は簡単に騙されてしまう。
彼らの巧妙な話術に嵌められて、自分たちが権力者の搾取の対象にされていることに気付かない。
そのような偽善の蔓延るアテネの権力層に真っ向から立ち向かったのがソクラテスであった。
ソクラテスは「対話法」を用いて知識人の欺瞞を次々と暴いてゆく。
すると、それを見ていた青年たちもソクラテスの真似をするようになる。
若者たちも、政治家やソフィストたちの欺瞞に気付きだしたのだ。
政治家やソフィストたちは、タジタジとなる。
やがてソクラテスたちの勢力は、権力者にとって放って置けない存在になる。
放って置いたら彼らの「不都合な真実」がどんどん暴かれてしまう。
それで、ソクラテスは殺された。
権力者は不都合な真実を暴く者を放って置かない。
ソクラテスを殺した本当の犯人は?
権力者が仕組んだ裁判でソクラテスは、死刑判決を受け毒薬を飲んで死んだ。
しかし、なぜ?
曲がりなりにも公式の裁判を受けたのにソクラテスの真実は通らなかったのか?
民衆の中にも真実を求める心が無かったということだ。
権力者が欲しているものは、真実ではない。己の権益だ。
同様に、民衆が欲していたものも自己保身であって、真実ではなかった。
民衆も、自分さえ良ければ真実などどうでもよかったのだ。
それで、権力者の意図と民衆の意図は「不都合な真実」を隠蔽することで一致した。
つまり、ソクラテスを殺したのは、権力に迎合した私たちの中にある反真実なのだ。
権力に迎合する思いと、 権力を振るう者の思いは、同じ心の裏表に過ぎない。
中華人民共和国建国70周年記念行事をテレビでやっていた。
「武力と経済力による支配」を前面に出したはき違えた権力だと思ったのは、私だけだろうか?
支配者に熱狂的に旗を振る民衆は、果たしてどのような思いからなのだろうか?
自己保身なのか?それとも真実なのか?
これは中国に限った話ではない。
はき違えた権力に対する選択は、自分の中にのみあるのだろう。
自己保身(反真実)を選択して、ソクラテス(真実)を殺すのか?
真実を選択して、間違った権力者(権力に迎合した自分)を排除するのか?である。
真実が隠蔽されてきた本当の理由
今日に至るまで間違った権力によって「真実は隠蔽されてきた」しかし、それに結託してきたのは私たちであった。
つまり「真実が隠蔽されてきた本当の理由」は、私たち一人一人の中にある。
権力を振るう者たち、権力に迎合する者たち、、、これらのものは、私たちの思い(錯覚)が作り出した幻影である。
自分の中の真実から目を背けて、幻影を求め続けてきたのは私たち自身である。