邪気10

呪詛は人の心に楔を打ち込む。

 

祈りとは、一言で「命の繋がり」であり「繫栄」です。

呪詛とは、反対に「命の分断」であり「破滅」です。 

 

本来、、、

人は、周囲の祈りに支えられて、健全で正しい自立心を持つようになります。

そうなれば、自動的に祈りの人になります。

話す言葉が、吐く息が、、、祈りなのです。

祈りは、澄んだ空気となり、

自然に人類の繫栄と調和は保たれます。

 

しかし、、、

呪詛は、祈る人間を呪詛する人間に変えてしまいます。

そうなると、、、

その人の話す言葉が、吐く息が、、、呪詛になるのです。

呪詛は、空気中に毒ガスを蔓延させ、、、

人類の健全な命の連鎖は分断され、死と破滅に向かわせるのです。

 

呪詛は、リモートコントローラーのようなものです。

呪詛の言葉を一度受け入れてしまうと、、、

その人の健全であるべき自立心に、楔(呪詛の言葉)が打ちこまれます。

すると、、、

その人は、自動的に呪詛する者の同調者になります。

「呪詛する人物のコントロール下に落ちた」、、、ということです。

楔を打たれた者は、自覚しないまま、

人間の健全な生命活動に対して、

分断と破壊活動をするようになるのです。

 

数々の悲惨な歴史の出来事は、、、

このような呪詛する者たちの念によって引き起こされてきた、、、

と見ることができます。

 

そして、、、

その呪詛は、今も

解かれてはいないのです。

私たちが、真実であると信じている事柄が、

実は、捻じ曲げられた真実(呪詛)である、、、。

その可能性は、、、

決して小さくは、、、

ないのです。