弁証法と和の精神Ⅷ
前回、、、
民衆の党派心を鎮めるのが聖人君主。
民衆の党派心を操るのが極悪人。
と言いました。
そして民衆とは、党派心が何なのかすら理解していない、、、大多数の人々です。
イエスキリストが、聖人であることに異を唱える者はいないと思います。。
しかし、イエスは膨れ上がった民衆の狂気(党派心)によって殺害されてしまいました。
これは、一体、、、どういうことなのでしょうか?
イエスが聖人であるならば、、、民衆の狂気(党派心)を鎮めてこそ、然るべき、、、と思えるからです。
しかし、、、そうは、ならなかった。
これは、イエスキリストほどの聖人でも、民衆の党派心を鎮めることが出来なかった、、、。裏を返せば、民衆の党派心を陰で煽る極悪人(支配主義者)力が勝っていたということであり、彼らが、如何に人間の中にある党派心の扱い方に精通しているのかの証拠といえるでしょう。
そうでなければ、「この者に何の罪も見出せない」と言っているピラト総督に向かって「自分の子孫に罪が及んでもいいから、イエスを殺せ!」と言った民衆の狂気を説明することが出来ません。
いくら民衆が無知であったとしても、正気でそのようなことを言えるとは到底考えられません。
つまり、民衆の中に、最初から悪意があったのではなく、民衆の中にある党派心が、悪意のある何者かによって操られてその様な暴挙に至ったということです。
これこそが、いつの時代も民心が残酷で悲惨な暴挙に傾いてきた不幸の仕組なのです。