弁証法と和の精神Ⅸ

党派心を誘引する工作とは!

 

彼らの工作は「ずらす」「煽る」です。

これが、全てです。

 

律法学者やパリサイ人たちの目的は、最初からイエスキリストの口を封じることにありました。

彼らにとって重要なのは、自分の利益や権力(党派心)を守ることであって、イエスキリストが説く天国ではなかったからです。

ましてや、、、イエスキリストの教えは、反党派心です。

党派心バリバリの律法学者やパリサイ人を偽善者と断じ、心の貧しい者たちこそが天国を受け継ぐといったのです。

 

観点をずらす

そこで、彼らが、したことは観点をずらすことです。

エスキリストの言葉が、真実かどうかではなく、イエスの言動が律法という現行法に照らしてどうなのか、、、という風に論点を意図的にすり替えました。

つまり、本来ならば自分の心と見つめて自問自答するべき問題を、既存の法や秩序の問題にすり替えたのです。

しかも彼らは、既存の法や秩序の管理者する立場にありました。

エスの罪をでっち上げることなど造作もないことだったのです。

大衆を煽るプロパガンダ

次に律法学者やパリサイ人は、自分たちは「法と秩序を守る者」だから善、イエスキリストは「律法を犯し、世の中を惑わす者」で悪、、、と徹底してプロパガンダを繰り広げます。

 

彼らは、民衆を自分の土俵(自分の党派心を正当化した理論)に引っ張り込まなければなりません。

エスの土俵(天国の理論)で戦っては勝ち目がないからです。

 

彼らのプロパガンダとは自分の党派心を正当化した理論ではありますが、全く理がないわけではありません。

(心に真実が無いだけで)知識に裏付けされた弁証法的合理性があります。

しかも、誰にも反対できない見せかけのスローガンで印象操作をすることが大得意です。

民衆は、彼らのプロパガンダを聞くうちに何時しか同調するようになります。

そして「イエスキリストは世の中を惑わしている」と言う彼らの言葉を受け入れるようになり、民衆は「あ~イエスキリストはよっぽど悪い奴だなぁ~」と、、、自分の中の党派心が立ってしまうのです。

 

このようにして、彼らの思惑通りに民衆の党派心(反キリスト)が取り込まれてしまうのです。

 

 悲劇

それで、悲劇は起こります。

罪のない聖人イエスキリストは死に、

偽善者は益々力を増し、

民衆は益々悲惨になります。

歴史の悲劇に歯止めが効かなくなったのです。

 

不幸のパターンは皆同じです。

党派心を操る者がいる。

そして、党派心を操られる者がいる。

結果、、、悲劇は起こる、、、です。

 

もちろん、党派心を操る者が悪いに決まっています。

しかし、同調した者も悪いのです。

誰も同調しなければ、悲劇は起こらないからです。

 

不幸の原因は、自分の中にある党派心です。

自分の中にある党派心さえ、きちんと治めれば不幸は起こらないのです。