絶対に不幸にならない方法
絶対に不幸にならない方法
幸せになりたいと思いながら不幸になる人がいる。
私の見る限りでは、幸せになりたいと強く思う人ほど不幸になる傾向が強い。
ではどうしてそのような矛盾が起こるのだろうか?
原因にあるのが錯覚である。
錯覚に陥って本当の自分を見失ってしまうのだ。
そこで、今回は不幸にハマる錯覚を4つに絞って解説する。
以下目次
・錯覚に気付くことの重要性
・不幸にハマる4つの錯覚
・絶対に不幸にならない方法
・本当の自分を取り戻す
錯覚に気付くことの重要性
(不幸にハマる基本的なパターン)
例えば、大阪から東京に行こうとする人がいたとする。
その人が新大阪駅から新幹線に乗った。
しかし、東京に着いたと思ったらそこは博多であった。
もしこんなことがあったら、その人はさぞかし不幸であろう。
では、どうしてこんなことになってしまったのか?
理由は、簡単だ。
その人は、何かを錯覚して反対方向の新幹線に乗ってしまったのだ。
しかも、到着するまで間違いに気付かなかった。
その人は博多に着くまで「自分は正しい」とず~と錯覚していた、、、ということになる。
不幸にハマるパターンは単純だ。客観的に見れば誰にでも分かる。
しかし、不幸にハマるパターンに誰でも気付くのかというとそうではない。
ほとんどの場合、不幸にハマっている当事者は、気付かない。
これは、錯覚が二重構造になっているためだ。
上の例えで言えば、間違って行き先の違う新幹線に乗ってしまった。
これが第一の錯覚だ。
この時点で、気付けば直ぐに引き返すこともできた。
しかし、この人は漠然と「自分は正しい」と思い込み、第一の錯覚に気付かなかった。
これが、第二の錯覚だ。
「自分は正しい」という第二の錯覚が、単純ミスである第一の錯覚から抜け出せない要因になっている。
だからもしあなたが、不幸になりたくないのなら「錯覚に気付くことの重要性
」を自覚する必要がある。
そして、自分が何らかの錯覚にハマっていないか点検してみる必要がある。
「不幸にハマる4つの錯覚」
それでは、ハマりやすい錯覚4つを順に解説したい。
①自分の外に幸せがあるという錯覚
幸せになりたいと思う人がハマる錯覚の多くはこれだ。
誰かが自分を幸せにしてくれる。何かが自分を幸せにしてくれる、、、。と自分以外に幸せを求めてしまうケースである。
お金があれば幸せだ。地位が、権力が、名声が、あるいは、恋人が、友人があれば幸せだと思い込んでいる。
しかし、これは錯覚だ。
目指す方向を間違えている。
本当の幸せとは、自分の外ではなく自分の中にあるものだからだ。
考えて見よう。
自分以外に幸せを求めた場合、もしそれが手に入らなかったらどうするのか?
永遠に不幸のままだ。
また、運良くそれを手に入れたとしても、次の幸せを外に求めることになるであろう。自分の中に幸せを求めていないからだ。
本当の幸せとは、心の中から湧いてくる満足感や充実感のことだ。自分以外の何かが自分を幸せにしてくれるのではない。
このことに気付いたならが、早く方向転換した方がよい。
そうでないと、行き着くことがない蜃気楼を追い求めることになる。
そればかりではない、自分の外に幸せを求める人はすぐに騙される。
結婚詐欺、宗教詐欺、占い詐欺、◯◯詐欺、、、。
詐欺師から見れば、自分の外に幸せを求めている人ほどだましやすい人はいない。
残念ながら、世の中には、善人ばかりであるとは限らないからだ。
②欲という錯覚
人間は、生まれ持ったものがある。
才能、性格、運命、容姿など、、、だ。
そして、幸せというのもまたそのようなものだ。
そのことを花に例えてみたい。
花にはバラのような華やかな花があれば、カスミソウのような清楚な花がある。
花束を作ればバラは主役になり、カスミソウは引き立て役になる。
あなたはその花束を見てどう思うであろうか?
「バラとカスミソウが調和して美しいなぁ」と思うだろう。
つまり、バラにはバラの、カスミソウにはカスミソウの役割もあれば、それに伴う幸せがあるということだ。
でも中には「主役のバラは幸福だけど、カスミソウは引き立て役で不幸だなぁ」と思う人もいるかも知れない。
人それぞれだから、そのように考えるのも悪いとは言えない。
しかしもし、カスミソウがバラになりたいと望んだらどうだろうか?
それは、叶うことのない欲望だ。錯覚でしかない。
もしそうなったら、その瞬間からカスミソウの不幸は始まることになるであろう。
人は自分より恵まれている人を見て「◯◯さんうらやましいな~」と思うことがある。
しかし「◯◯さんにとって代わってやる、、、。」というよう思いをもったとしたら、気を付けたほうが良い。
カスミソウがバラになりたいと言っているのと一緒だからだ。
その思いは錯覚である。
この種の欲望は、決して満たされることはない。
そればかりか、自分に与えられた幸せに満足するという当たり前の感覚すらも失くしてしまう。
だから、変な錯覚をして変な欲望を持たないことだ。
自分に与えられた幸せ以上のことを望む人は、身の回りにトラブルが尽きることがない。人を不幸にするし、自分も不幸にする。
③人の上下という錯覚
あなたは、人を見ただけで自分よりも上だ、下だと瞬時に差別したことはないだろうか?
これが、どういうことかというと支配、被支配という関係を作る作業が無意識のうちになされているということだ。
そして、相手が自分よりも上だと思ったら卑屈になり、自分よりも下だと思ったら傲慢になる。
つまり、強いものには服従し、弱いものには権力を振るうのが幸せだという間違った認識が人間の意識の中にあるということだ。
「権力に囚われる習性」、、、と表現したらよいだろうか。
もちろん。このような意識は間違っている。
人間に上も下もない。
そして、卑屈になるも傲慢にもなるのも決して幸せなことではない。
客観的に見れば誰にでも分かることだ。
しかし、当事者は気付かない。
差別意識が、条件反射のように身についていても、漠然とした「自分は正しい」という自己誤認のため気付かない。
これは、根の深い問題である。
歴史を振り返って見ればわかる。
支配、被支配という関係が歴史の中に一貫して存在し続けてきている。
もちろん今の世の中もそうなっている。
偉くなって権力を手にすることが幸せであると、世の中の隅々まで浸透している。
家庭や学校で「勉強して偉くなりなさい。いい会社に入って出世しなさい。」と疑いもなく教えている。
人間の意識の中に深く染み付いていて、錯覚が「当たり前のことを」のように定着している。
しかし、これは錯覚であって「当たり前のことを」ではない。
権力に囚われた間違った考えが歴史上に数々の悲劇を残してきた。
その事実は今も変わらない。
人の上下関係を作ろうとする間違った思いが、イジメ、パワハラ、幼児虐待、人間差別、格差社会という不幸を起こしているのだ。
だから、権力に囚われる習性に気付いたら考えを変えた方がよい。
それが幸福をもたらすことは決してない。
囚われた心は、それ自体が不幸なことだからだ。
何ものにも囚われない自由な心が本当の幸せなのだ。
④感情の錯覚
人間に錯覚を起こさせる一番の問題がこれだ。
「間違った感情」である。
「間違った感情」が問題だというのは、何の根拠もない、何の正当性もないことに対しても勝手にしかも、強力に動きまわってしまうことだ。
煽り運転するのも、ストーカーするのも、間違った正義を振り回すのも、理不尽な理由で人をイジメるのも、反日感情も、嫌韓感情も、世の中にある問題の多くは、何の根拠も、正当性もない「間違った感情」に振り回されて起こっている。
よく考えて見なければならない。
根拠も正当性もない感情とは、一体何なのか、、、?
それは単なる錯覚の産物でしかない。
根拠も正当性もないということは、「あってはならないもの」以外の何物でもない。それを自分中に作り出しているのだ。
「間違った感情」は単なる錯覚の産物である。
しかし、この感情の問題は極めて解決困難である。
その理由は、それが錯覚であることに気付きにくいところにある。
腹の中が煮えたぎる思い。カーッと血が逆流する怒り。ムラムラと湧き上がる憎しみ。根拠があろうとなかろうと正当性があろうとなかろうと感情は感情として自分の中のでグルグルと動き回っているからだ。
たとえそれが、理不尽で身勝手な感情であっても、抑えがたい存在感を伴って自分の中にある。
それがゆえにその感情が、自分であると思ってしまうのだ。
世の中に不幸が尽きないのは、この感情の強力な影響力のためだ。
しかし、自覚しなければならない。
そのような感情に振り回されて起こるのは不幸だけだ。
感情が動かされたからと言って、それが本当の自分と思ったら間違いだ。
正しいことを正しい。間違いを間違いと真実に基づいて判断している自分が本当の自分である。
自分の中の間違った感情は、自分でもなければ友達でもない。
それは単に錯覚の産物であり、異物であり、厄介者である。
キレイに取り除くべきものなのだ。
自分の中の「間違った感情」に気付いたら外に出さないことが重要だ。
何故なら、その感情は増殖力を持っている。
また、外部からくる「間違った感情」にも警戒しなければならない。あなたの内部を侵蝕する力がある。
絶対に不幸にならない方法
結論は、絶対に不幸にならないようにしようということだ。
絶対に不幸にならないためには、錯覚に陥らなければよい。
錯覚にハマらないためのポイントをまとめてみる。
・人を頼りにするのではもなく、自立した喜びを求める。
・人の幸せを奪おうとするのでもなく、自分の幸せを求める。
・人の上下を計るのではなく、誰にでも敬意を持つ。
・根拠も正当性もないことで情を乱すのではなく、常に情をフラットに保つ。
当たり前、、、と思うかもしれない。
確かに当たり前のことだ。
しかし、その当たり前のことが出来ていたら誰も不幸になっていない。
本当の自分を取り戻す
理屈は簡単だ。
しかし、錯覚に気付くのは言うほどに簡単ではない。
「自分は正しい」という漠然とした自己過信が、それを難しくしている。
冒頭で指摘した錯覚の二重構造だ。
だから、まずは「自分は正しい」という漠然とした思いから捨てないといけない。
また、錯覚に気付いても、染み付いた習性を変えるのは簡単ではない。
気を付けていても、条件反射のように瞬時に動いてしまうのが習性だからだ。
さらには、人から変な目で見られる可能性がある。
世の中は錯覚にハマっている人が大多数なのだ。
錯覚にハマっている人から見たら、錯覚から覚めた人が変な人になり得る。
しかし、本当の自分を取り戻そうと決意すれば誰にでもできる。
何か特別なことをするわけではないからだ。
むしろその反対だ、余計な事(錯覚に振り回される)をしないだけで良い。