弁証法と和の精神Ⅳ
「和を以て貴しと為す」とは、、、悪いものが混入していない和の心!
これこそが一番貴いという戒めの言葉です。
和の心は、後ろめたいものが混入していないがゆえに、何ものにも動じることがありません。
だから、和なる心で臨めば、全ての事柄は道理にかなう。
上手くいかないものなど何もない、、、と言い切れる、、、のです。
「心の内外は繋がっている」ということです。
あなたの周辺にこのような人はいないでしょうか?
身の回りに何か良くないことが起こった時に「あー自分のせいだ」と自分を責めてしまう人です。
日本人は、割合そういう人が多いのではないでしょうか?
例えば、相手がぶつかってきたのに「あ、すみません」とあやまってしまう人、、、いると思います。
このような人は、弁証法的なものの考え方に慣れた人からすると「変な人」に見られるかもしれません。
「自己主張が出来ない人」「自虐的にものを考える人」、、、というふうにです。
しかし、これは日本人的感性なのであって変な人なのではありません。
これは、、、私の中に何か悪いもの(例えば、何か良くない考えとか、油断とかイライラなど、、、)があったため、良くないことが起こってしまったのかもしれない、、、、と無意識的に感じていることの現れなのです、、、。
つまり、和の心がその人の中で息づいている証拠です。
恐らく、、、日本人以外にこのような感性を持っている人は多くないのでしょう。
そんな日本も、、、戦後は西洋的(弁証法的)教育が施されてきたので、和の心を持つ者が少数派になってしまったのでしょう。
それで、相手が悪いのにあやまるなんて変な人と言われてしまいます。
しかし、本当は逆です。
平面的思考しかできない人が変な人なのです。
AとBではどちらが良いか悪いか?という問題はAとBの対立軸だけでなく、偏見とか利害の介在しない中心(和の心)、、、が最も重要であることは自明だからです。