支配、被支配という不幸の構図

親が子を虐待するという不幸な事件が後を絶ちません。

これも支配、被支配という不幸の構図に当てはまります。

親が子をコントロール(支配)するのが正しいと思い込んでいるからです。

しかし、それは囚われた思いでしかありません。

子を躾けることと、子をコントロール(支配)することの区別ができないのです。

 

なぜでしょうか?

唯物論的な偏狭な思い、考えが刷り込まれているのです。

人知を超えた偉大なる存在に対する畏敬の思い、、、というものを失っているのです。

 

例えば、神様という存在を前提に考えたら、神様の前では親子であっても同じ一個の人間でしかありません。

そこに命に対する平等性や尊重はあっても、支配、被支配という観念はありません。

しかし、人間の心の中から人間を超えた偉大なもの(神、大自然、悠久なる時空など、、、)に対する畏敬の念が失われてしまったなら、

自分の思い通りになる、ならない、、、というような偏狭な行動パターンに陥るしかないということです。

つまり、支配、被支配という不幸の構図をつくり出すのは私たち人間に取りついている偏狭な思いの類であるのです。