万有の真相は唯一言にして悉す。曰く『不可解』

「人生不可解なり、、、」といって華厳の滝に身を投じた青年がいました。

明治時代のことです。

 

おそらく、、、ですが、

人生とは何ぞや!!と頭で理解しようと本気で取り組んで、幸せになった人間はいないのではないだろうか?と思います。

なぜならば、人生を人間の頭で理解しようとすると自体が所詮無理なこと、、、と思われるからです。

 

高杉晋作は、面白くない人生をおもしろく生きるのが人生だと歌を詠みました。

面白くない人生を、、、何で?と考えるのではなく、

どうせなら面白く生きてやろうと、、、考え方を変えてみる。

すると、どんな人生も捨てたもんじゃないとなってくる。

そんなものなのかも知れません。

 

ただ、面白い、面白くないも良いけれども

 究極的には「いのり」のようなものになってゆくのだろうと思います。

そして対義的なものが「うらみ」というような思いです。

「いのり」と「うらみ」

面白い面白くない、これだけだと個人意識過ぎないと思われても仕方がありませんね。

でも「いのり」は全体意識に通じるもの、、、

家族が、社会が、日本が、世界が、、、より良くあるようにと、、、。

たとえあなたが体が不自由でベッドに寝たきりになっていたとしても、こころは前を向いて歴史や人類と共に生きていくことができます。

 

「うらみ」は反対です。

何かに囚われて、こころが四方八方ふさがれてしまうことです。

歴史や家族や人類とも切り離されて孤立してしまいます。

 

「人生不可解なり、、、」といって自らの命を絶ってしまった青年は、、、

何かに囚われて、そこから抜け出せなかったのかもしれません。

たとえば

こうあるべきだという正義感や理想。

 あるいは、誰かが作り出した虚構(理論や哲学)や自分が作り出した虚構。

それとか過去にあった間違いや、こころの傷、、、、

そのような何かに囚われてる心の状態が「うらみ」です。

 

あえて人生に目的があるというならば、

「うらみ」から「いのり」へ心情転換することと言えないでしょうか?

 

私たち一人一人の「いのり」が、子や孫の世代に、、、さらにはまた次の世代に、何らかの形で現れるに違いないからです。