弁証法と和の精神Ⅱ

和の精神(日本の思考方式)

では、我が日本国はどうでしょうか?

和の精神です。

これを最も端的に表しているのが、聖徳太子の17条憲法です。 

 

一に曰く

和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

 

(訳文)

第一条

和の精神こそが貴いと心得て、諍いをおこさぬことを旨とせよ。人には皆党派心があり、また(それが諍いの原因であることを)覚る者は少ない。それゆえ、君主や父に従わず、近隣者と仲たがいを起こす。しかし、上に立つ者が和の精神で、下の者も親睦の情で物事を話し合い、意見の調和がなされれば、自然とそれは道理に適うものとなり、成就できないことなどなにもない。

 

もちろんこれは、聖徳太子が新しく作り出した概念というではありません。

日本人知恵神髄を文字に現した、、、と言うことです。

古くは縄文時代から脈々と流れてきた日本文明において、先人たちが幾多の困難を乗り越える中で蓄積された様々な知恵というものがあり、その中で、何をおいても戒めるべき第一の心得が和の精神である、、、ということなのでしょう。

 

確かに、自分のDNAに刻まれてるよなぁ~、、、と思われる人も多いのではないでしょうか。

 

先ほど説明した西洋の弁証法的考え方と、比べて見ると、、、どうでしょう。

価値観がまったく真逆です。

 

先ず、西洋が A に対して B という対立軸でものを考えるに対し 、

日本対立するな!でものごとを考えています。

 

その訳は、人間聖人君主などまれで所詮は党派心(煩悩)のかたまりなんだからということです。

党派心を持つ未熟な者が、対話をしてもケンカになるのがオチです。

 

それで、君主や親に従え、、、と言っています。

一つ上の次元で、物事俯瞰できる人の意見を聞けば対立は起こらないという話です。

 

だから、何か物事を話し合うときは、調整役(上)を立てて意見調整・調和せよ、、と。そうすれば、理にかなった答えが自ずから導かれるという考えです。

 

自◯党の派閥政治とか、日本企業によくある報連相とか、、、今の時代にも結構色濃く残っているやり方ですよね。

 

日本人の基本的思考方式は、やはり「和をもって尊しとなす」ということに尽きるのでしょう。

 

(続く)